寄稿者

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Lisa M. Samra

Lisa M. Samra

リサ・サムラ氏の願いは、生き方や奉仕をとおしてキリストをたたえることです。テキサス大学ジャーナリズム科を卒業後、ダラス神学校で修士号を取得しました。現在、夫と4人の子どもたちとともにミシガン州グランドラピッツ在住です。執筆の他に、弟子訓練や霊的人格形成に注力しています。これまで世界各地を旅し、あらゆる土地や人、文化との出会いにインスピレーションを受けています。サムラ氏は、おいしいコーヒー、ジョギング、読書が好きです。

寄稿一覧 Lisa M. Samra

神の守りと養い

赤ん坊が新生児集中治療室に入院している母親を見舞いにいきました。彼女は子どもを抱いています。この先進医療機器が並ぶ施設で医者が勧めた赤ん坊の症状を改善する処方は非常にローテクで、新米ママが長時間赤ちゃんを抱く、というものでした。

すべての人に善を行う

長年のライバル、高校サッカーのイーグルズとパイオニアズが接戦を繰り広げる中、イーグルズがゴールしたボールが、ネットの破れから外に出てしまいました。審判はゴールの瞬間を見逃がし、ボールがネットの外にあるのを見て、得点を加算しませんでした。しかし、パイオニアズのコーチは、相手方がゴールしたと主張し、パイオニアズは3対2で負けました。

人々の避け所になる

家族と一緒に車で長距離移動した時、モンタナ州とサウスダコタ州の人口密度が極めて低い地域を何時間も走っていて、あるパターンに気付きました。広大な農地の中に一軒家が点在しており、その家々は皆、木立に囲まれています。車が強風にあおられないように奮闘した時、私は、その樹木には景観以上の理由があると分かりました。美しい木立は強風から住居や住民を守るために意図的に配置された防風林なのです。

キリストにおいて一つ

アフリカ系米国人として初めて詩集を出したフィリス・ホイートリーは、聖書に基づき奴隷制廃止を訴えました。1753年頃、西アフリカで生まれ、7歳で奴隷に売られましたが、文才を周囲に認めさせ、1773年に自由を獲得しました。そして万民の平等という聖書の教えを受け入れるように、詩や書簡で、読者に迫りました。「神は全人類に人としての本質を植えられ、それは自由に対する愛と呼ばれる。抑圧を許容せず救出せしめんと熱望すること……その本質が、私たちの内にもある」と書きました。

全ての言語で

アテネ中心部のある教会で、神の愛が母国の人々に届くように、仏語、独語、スロバキア語、ギリシャ語、英語など、さまざまな言語で祈りがささげられました。ペンテコステ当日だったこともあり感動はひとしおでした。

一つ

オックスフォード大学のウルフソン・カレッジに『彼らも一つとなるため』という現代アートがあります。複数のパネルで構成されたこの絵画には、飾り気のないテーブルの上に質素なカップが13個描かれています。そのシンプルさで最後の晩さんの奥深さを際立たせています。中央の目を引く大きなパネルには、イエスを表すパンと杯が描かれ、その周囲に配置された12個のパネルは、弟子たちの存在を示しています。

神の偉大な力

ひどい吹雪であちこちで送電線が切れ、町の大部分が停電しました。多くの家庭では灯りが消え、暖房機器が使えず、極寒の中、電力の復旧を待っていました。後日、町の教会の駐車場が復旧作業指令基地になり、各地へ作業車が送り出されて作業にあたったと知りました。

主の愛で愛す

ナチス占領下のフランス、ル・シャンボンで、5千に上る人命が、住民の努力で守られました。救われた人の中には多くのユダヤ人の子どもがいました。町の人たちが、故郷を追われた人たちを自宅や農場にかくまったのです。アンドレ・トロクメ牧師は、教会の人たちに「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」(申10:19)という御言葉を語り、逃げて来た人たちを助けるように促しました。それを聞いた町の人たちも、牧師の主張に共感して協力したのです。

神に賜った才や業

ヴァン・クライバーンやウラディミール・ホロヴィッツのような超一流のピアニストは、ニューヨークのスタインウェイ&サンズの主任コンサート調律師、フランツ・モアを頼りにしていました。彼のピアノの調律は完璧だったからです。モアは、その長年の経験と知識から、多くの有名ピアニストに慕われました。また、調律の技術は、自分が神に仕える手段だと信じ、自身の信仰をピアニストや公演スタッフたちに語ることもありました。