寄稿者

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Lisa M. Samra

Lisa M. Samra

リサ・サムラ氏の願いは、生き方や奉仕をとおしてキリストをたたえることです。テキサス大学ジャーナリズム科を卒業後、ダラス神学校で修士号を取得しました。現在、夫と4人の子どもたちとともにミシガン州グランドラピッツ在住です。執筆の他に、弟子訓練や霊的人格形成に注力しています。これまで世界各地を旅し、あらゆる土地や人、文化との出会いにインスピレーションを受けています。サムラ氏は、おいしいコーヒー、ジョギング、読書が好きです。

寄稿一覧 Lisa M. Samra

聖書の処方箋

グレッグとエリザベスの家では、学校に行っている4人の子どもと一緒に「ジョークの夕べ」を定期的に持っています。夕食の時、各々がどこかで読んだり聞いたり(自分で作ったり!)したジョークを披露します。これは一家が育んできた伝統で、食卓を囲んで楽しく過ごした思い出になります。笑いは、苦しい時でも気持ちを明るくし、子どもたちの健康にも良いようです。

きよめる

洗濯機に丸めて入れた白いタオルの中に、何と青色のボールペンが入っていました。乾燥の工程で破裂し、そこらじゅうにインクが飛び散り、白いタオルは台無しです。どんなに漂白剤を使ってもきれいにならず、あきらめて雑巾にすることにしました。そのとき、罪が与えるダメージを嘆く旧約聖書の預言者エレミヤの言葉が心に浮かびました。

造り主と支え主

スイス人の時計職人のフィリップは、虫眼鏡とピンセットを使ってゼンマイ式時計の細かい部品を分解し、掃除し、そして再び組み立てる工程を説明してくれました。複雑な部品を前に、最も重要な部品であるゼンマイも見せてくれました。ゼンマイはすべての歯車を動かし、時を正確に刻ませる部品です。時計は、どんなに巧みに設計されていても、ゼンマイが無くては動きません。

諸国民の中の正義の人

私たち夫婦はイスラエルのホロコースト博物館の「諸国民の中の正義の人の庭」でオランダから来た人たちに会いました。命を賭けてユダヤ人を救おうとした人たちに誉れを帰する記念碑に、一行のひとりの祖父母の名が記されていると言います。彼女の祖父ピーター・ミューラー牧師と妻のアドリアナは、レジスタンス運動のメンバーで、2歳のユダヤ人の少年を自分の9番目の子どものようにして、1943年から2年間かくまいました。私たちは感動して「その子は助かりましたか」と尋ねると、年配の紳士が「私がその子です!」と答えました。

冬の雪

冬の朝、目覚めると、あたりは新雪でおおわれ静かです。雷鳴をとどろかせて己の到来を声高に知らせる春の嵐と違い、冬の雪はしんしんと降ります。歌手のオードリー・アサドは「ウィンター・スノー・ソング」という曲で、イエスは嵐のように来ることもできたのに、静かにゆっくりと、まるで冬の夜の雪のように来られたと歌います。

美しいモザイク

イスラエルのエン・カレムにある訪問教会の庭には67枚のモザイク版があり、ルカの福音書1章46節から55節のみことばが多くの言語で記されています。このみことばは、救い主の母になると知らされたマリヤの喜びの応答で、ラテン語で「讃える」を意味する「マニフィカト」と伝統的に呼ばれています。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。…力ある方が、私に大きなことをしてくださいました」(46-49節)。これは、彼女とイスラエルの民に対する神の真実をたたえるマリヤの賛歌です。

神がそこにおられる

我が家に「認むとも、認まざるとも、神ここにおはすなり」と書かかれた銘板があります。紀元前8世紀の終わりに生きた旧約聖書の預言者ホセア(紀元前755年から715年)は、イスラエル人の国家に宛てて似たことを書いています。彼は神を切に追い求めなさいと促しました(ホセ6:3)。イスラエル人が神を忘れたからです(4:1)。彼らは神の存在を忘れていき、神から離れ(12節)、ついには、神の入る余地が全く無くなりました(詩10:4参照)。

触れる力

ポール・ブランド博士は20世紀の医療開拓宣教師です。任地のインドでハンセン病の患者の社会的苦境を目の当たりにしました。ある患者の身体に手を触れ、治療は可能だと言うと、その人は涙を流しました。付き添いの人は「先生は彼の身体に触りました。彼はもう何年も人の手のぬくもりを知りません。あれは喜びの涙です」と言いました。

イエスの物語

子どもの頃、町の図書館に行くのが大好きでした。ある日、高学年用の書棚を見て、そこにある本を全部読もうと思いました。けれど重要な事実を忘れていました。ここには新しい本が追加されます。私は必死に努力しましたが、本の数が多過ぎました。