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Marvin Williams

Marvin Williams

マービン・ウィリアムス氏は、2007年に「デイリーブレッド」の寄稿者として加わりました。ウィリアムス氏は、ミシガン州ランシングにあるトリニティ教会の主任教育担当牧師です。妻トニアとの間に3人の子どもがあります。

寄稿一覧 Marvin Williams

間違いを正す

聖書のみことば:Ⅰサムエル記2:12、27-36

なぜ、あなたがたはわたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうち最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。―Ⅰサムエル記2:29

自らが母親でもあるカウンセラーのローリ・ゴットリーブは、子どもの幸せに執着する親は結果として子どもを不幸にしてしまうことがあると言いました。このような親は子どもを過保護にして、社会に出る準備をさせず、子どもの間違いに目をつぶり、厳しくしつけることをしません。

サムエル記第一では、大祭司のエリが息子たちの罪に目をつぶったことが分かります。息子たちが幼い頃、エリがどのような父親であったかは分かりません。しかし、成人した息子たちが神の宮の祭司としてふさわしくない行動をしたとき、彼は、きちんと対処することを怠りました。息子たちは自己中心的で、欲深く、反抗的であり、神のみことばや人々の必要よりも、自分のやりたいことを優先させました。エリははじめ、彼らを戒めましたが無視されました。エリは彼らを祭司職から解くべきでした。しかしそうはせず、現実から目をそらし、彼らの成すがままにしておきました。息子たちの罪のため、また、エリが神よりも息子たちを選んだ罪のために(Ⅰサム2:29)、神はエリの一族を裁くと告げられました(2:34、4:17-18)。

クリスチャンの親には、愛情をもってわが子をしっかりとしつけるという、恐れ多い責任が与えられています(箴言13:24、29:17、ヘブ12:9-11)。子どもたちに神の知恵を教えるならば、私たちは祝福されます。それは、子どもたちが神を畏れ、責任感のある大人に成長するように助けるという祝福です。—Marvin Williams

自分をすべて神に明け渡すことで、自分が神に造られた目的を生きることができる。子どもたちを叱らないことは、彼らを愛さないことだ。

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厄介払いの良き日

年の初めに一風変わったイベントをする人たちがいます。「厄介払いの良き日」と呼ばれ、2006年に始まりました。それは、ある南米の伝統に由来します。各人が、旧年中の悪い出来事や嫌だったこと、恥かしい思い出などを紙に書き、その紙を業務用シュレッダーにかけます。または大槌で打ち叩く人もいます。

私たちの重荷を負われた

光熱費の請求に驚くのは、よくあることですが、ノースカロライナ州に住むキーラン・ヒーリーの場合は、その域を超えていました。100億円です。そんなに水を使うはずはないので、ヒーリーはふざけて、分割払いにしてもらえるかと尋ねたそうです。

主の名を呼ぶ

ニューヨーク市のあるエレベーターで、2016年、死者5名、負傷者51名の事故が起こり、当局は、不測の事態に落ち着いて安全を確保する方法を知らせようと啓発活動をしました。事が起こった場合、やってはいけないことは、自分で何とかしようとすることです。最善の行動は「通報し、落ち着いて待つ」ことです。行政当局は、人々を迅速に救済し、彼らが怪我をしないように最善を尽くすと約束しました。

家の前でほっと一息

猛暑のある日、8歳のカーマインは、郵便配達員が熱中症にならないように、スポーツドリンクと水を入れたクーラーボックスを自宅の門の前に置きました。家の防犯カメラには、郵便配達人が「すごい!水とスポーツドリンクだ。神さま、感謝します!」と喜ぶ映像が残っていました。「カーマインは、郵便屋さんに冷たい飲み物をあげるのが自分の責任だと思っているのです」と彼の母親は語ります。

聖霊の力によって

山が行く手を阻んでいたなら…。ダシュラス・マンジの実話は感動的です。彼は妻を亡くしました。行く手を山に阻まれ、病院に救急搬送できなかったからです。マンジ氏は村人が同じ悲しみに遭わないために不可能に挑戦しました。22年をかけて山をこつこつとノミで削り、救急病院への道を切り開いたのです。インド政府は、彼が亡くなる前に、その功績をたたえました。

新しい名で呼ばれる

マーク・ラバートンは次のように書いています。「音楽家の友人から、音楽性豊かだと言われたときは感動しました。そんな風に言われたことは一度もありません。楽器が弾けたわけでも、ソロで歌えたわけでもありません。それなのに、その人に知られ、愛されていると感じました。…私の内にある真実な何かに目を留めてくれたと感じたのです。」

巨人に勝つ

聖書のみことば:Ⅰサムエル記17:33-50

獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。—Ⅰサムエル記17:37

ワイリー大学は1935年、大学対抗の討論会で南カリフォルニア大学を打ち負かしました。テキサス州の無名の黒人大学が、白人の名門大学の強豪チームに勝ったのです。国の誇る巨人を無名の戦士が破ったという典型的な例です。

古代のイスラエル人がペリシテ人に攻められて危険な状態にあったとき、ダビデという少年が文字通り巨人に勝利しました(Ⅰサム17章)。両軍はエラの谷の両側に展開していました。おそらく彼らは互いを恐れて不安だったのでしょう。代表戦士の戦いによって勝敗を決しようとしました。ペリシテ軍はゴリアテという身長約3メートルの巨人を差し向けましたが、イスラエル軍には彼と対等に戦える勇猛な戦士がいません。ダビデはこの窮状を耳にして、どうかゴリアテと戦わせてもらいたいとサウル王に申し出ました(32-37節)。サウルは気が進まないながらも、彼を行かせることに承知しました。ダビデは、武具として5つのなめらかな石を用意し(40節)、全能の神にゆるぎない信仰をおいて(45節)戦いました。そして、ペリシテ軍の誇る戦士に打ち勝ったのです。

人は誰でも人生の巨人に脅かされています。それは、心配、疑い、恐れ、過ち、罪悪感などです。私たちは、みじめなほどに力も財もないかもしれません。しかし、持てるすべてを持ってきて、ゆるぎない信頼を全能の神に寄せて立ち向かうなら、私たちもダビデのように巨人に打ち勝つことができます。

神は愛される資格のない人を、ご自身の恵みによって自分のものとして愛される。

前進する

私は「アメージング・レース」というテレビ番組が好きです。10組のふたり組の挑戦者が外国に放り出され、公共交通機関や自転車、または徒歩で、ある場所から別の場所を目指し、各々の場所でクリアすべき課題を与えられつつ競争します。そして一番早く目的地にたどり着いた組が、賞金100万ドルを獲得します。