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Monica La Rose

Monica La Rose

モニカ・ラローズ氏(旧姓ブランズ氏)は、イリノイ州パロス・ハイツにあるトリニティークリスチャン大学で英語学と神学を専攻した後、ミシガン州グランドラピッツにあるカルヴィン神学校で神学修士号を取得しました。2019年10月に、ミュージシャンでありエンジニアでもあるベン・ラローズ氏と結婚しました。ふたりは、家族や友人、そして二匹の猫と過ごす時間を大切にしています。

寄稿一覧 Monica La Rose

ありがたい本

私は美しい装丁の本に目がなく、蔵書は増えていくばかりです。しかし、全ての本を読破する時間も余裕もなく、多くの本が新品同様の美しい状態を保っています。エッセイストのジョン・アップダイクは、アメリカの古典『ウォールデン―森の生活』について、「聖書のように、敬意は払われるが読まれない」可能性があると語りました。聖書は、古典であり、異文化の中で書かれた書物なので、少々難しいのかもしれません。そのせいか、出番は日曜日の礼拝の時だけで、他の日は本棚を飾るだけになりがちです。

神の気前良さに応える

リディアは匿名で1万ドル(約150万円)を寄付されましたが、自分のためにはほとんど使わず、家族や同僚のために使ったり、被災者支援や慈善団体に気前良く寄付しました。彼女はそうとは知らずに、無条件で1万ドルを受け取った200人の反応を調査する研究に参加していたのです。この調査の結果、贈られたお金の3分の2以上が寄付されたことが分かりました。非営利団体TEDの代表クリス・アンダーソンは、この例を取り上げて「私たち人間は、太っ腹な行為には太っ腹な行為で応えるようにできている」と語りました。

真実のために偵察する

自分の間違いに気付かず、自己の正しさを信じる傾向が、人にはありますが、それは「兵士の思考」があるからだと、ジュリア・ガレフは自著で語ります。それは、自分が信じているものを正当化し、それを脅かすものから守ろうとする心理ですが、より有益な考え方は「偵察者の思考」だといいます。偵察の主眼は、脅威の排除ではなく、完全な真実の探求です。きれいごとではなく、不都合でも、不愉快でも、何がそこにあるのかを正直な目で正確に理解したいと思います。このような考え方の人は、生涯にわたって理解を深めていける謙虚な心を持っているといえます。

内面から変えられる

ロンドン西部の高層住宅グレンフェルタワーで発生した火災は、死者72名に上る大惨事でした。火の回りを早めた主な原因は、改修工事で採用された外装材と断熱材でした。外側はアルミでしたが、中心は非常に燃えやすいプラスチックでした。

忍耐強い愛

我が家のミスティークは、美しいふわふわの毛をした猫です。一緒に遊んだり、お腹をなでてあげたり、膝の上で眠らせたりしていると、数年前に出会ったあの猫だとは思えません。元々は野良猫で、痩せていて、人を恐れていました。けれども、毎日餌を与えるようになって、徐々に変わっていきました。そしてある日、ミスティークは私になでさせてくれました。その後の進展はご想像通りです。

信頼できる声

ニューヨークタイムズ紙のコラムニスト、ケビン•ルースは、新しいAI(人工知能)を試していて不安になりました。自動応答機能を使った2時間の会話の中で、AIは開発者の厳格なルールを破り、誤情報を広め、人間になりたいと語りました。ルースを愛していると告白し、妻と別れて一緒になるよう説得を試みました。彼は、AIが生き物ではなく感情も持っていないと知っていましたが、悪用されたら、どれほどの害をもたらすだろうと思いました。

言動に対する責任

学校がいじめの責任をすぐ認めることはほとんどありません。17歳の生徒が自殺した後、その名門高校が、彼を守ろうという配慮が「悲劇的に不十分だった」と認めたのは1年後でした。関係者は、自殺した生徒が執拗(しつよう)ないじめを受けていると知りながら、彼を守るためにほとんど何もしませんでした。現在、同校は、いじめの撲滅と生徒のメンタルヘルス向上に資する措置を講じようとしています。

希望の未来を見る

ハリケーン・カトリーナの被災地、ニューオリンズの復興は、遅々としていました。最大の被災地の一つ、ロウワー・ナインス・ワードには、2005年以降、生活必需品さえ手近で購入できません。バーネル・コトロンは、それを変えようと、2014年11月、被災後初の食料品店をオープンしました。コトロン氏は語ります。「この物件を購入した時、ばかじゃないかと皆が言いました。でも、最初のお客さんは『近所を行き来する生活がまさか戻ってくるなんて!』と涙を流したのです」。彼の母親は「私には見えていなかったものが、息子には見えたのです。彼の挑戦を嬉しく思います」と述べました。

信頼できる創造主

メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』には「怪物」が登場します。しかし、この小説をよく読むと、作者の目的は、妄想から「怪物」を生み出したヴィクトル・フランケンシュタインこそが本当の「怪物」だと描くことだったのだろうと思います。知性ある生き物を作っておきながら、ヴィクトルは、その生き物と交わることをせず、幸福の希望さえ与えず、絶望した「怪物」が復讐(ふくしゅう)に燃えても当然の状況を作りました。「怪物」はヴィクトルに向かって「私の創造者。あなたは私を八つ裂きして、凱歌(がいか)をあげるんだ」と嘆くのです。