見当はずれ
トーマス・キーティング著の『人間の条件』の中に、家の鍵を失くした教師の話があります。草むらで探し回る様子を弟子たちが見て、一緒に探しますが、見つかりません。ついに、弟子が「失くした場所に心当たりは?」と尋ねると、「もちろん、家の中だ」と先生。「えぇっ!では、なぜここで探すのですか?」「そりゃ、明るいからだ」。なんと見当はずれな話でしょう。
信頼できる愛
私の心には複雑な感情が渦巻いていました。以前、親しい人の行為に深く傷つき、それを当人に伝えたことで、絶交という結果になった辛い経験があります。相手がはぐらかしたからです。彼女が地元に戻ってきていることを今日聞いて、過去がよみがえり、心が乱れました。
刻まれた悲しみ
珍しいタイプの完治できない脳腫瘍と診断された後、キャロラインは、新たな生きがいを見つけました。難病の子どもとその家族の写真を撮る奉仕です。絶望の淵の悲しみだけでなく、奇跡のような美しい瞬間が記録され、子どもたちの家族は、共に過ごした大切な時間を心に刻めます。キャロラインは、極限の困難にあっても、いやむしろそれだからこそ、これらの家族は愛を選択していると気付きました。悲惨な現実と、美と希望。悲しみの真実には驚くべき力があります。
認知の境界線
新型コロナウイルスの影響で、夫が一時解雇になりました。神が生活を守ってくれると信じていましたが、具体的なことは分からず不安でした。心を静めようと、大好きな詩を読みました。それは、16世紀の宗教改革者、十字架のヨハネの「我、入るも、何処か分からず」と題された詩で、自己を明け渡す旅の中で見いだす不思議を歌っています。認知の境界線を超えると、神をあらゆる形で認識すると語ります。
人のことを喜び祝う決断
作家のマリリン・マッケンタイヤーは「嫉妬の反対は共に祝うこと」と友人に教わったと語ります。友人は障害と慢性痛のために才能を十分に開花させられませんでしたが、なぜか人のことを喜び祝う独自の術を習得し、亡くなる前には出会いの全てに心から感謝していました。
イエスのように完全
カスリーン・ノリスは、現代の完全主義は、臆病になりすぎて必要なリスクを取れなくなる極めて不健全な心理状態だと言います。一方、マタイの福音書で「完全」(5:48)と訳された単語は、成熟、完成、全人的を意味すると述べます。つまり、「完全であるとは、成長の余地を残しつつ、他人に尽くせる程度に大人であること」と結論づけました。
偉大な知恵
教父と慕われたヨハネス・クリュソストモスは、人を霊的にケアすることの複雑さについて「牧会者にはあらゆる角度からたましいの状態を検証できる偉大な知恵と千の目が必要だ」と述べました。心癒やされよと強制することは誰に対してもできないので、手を差し伸べるには、大きな共感と思いやりが必要です。しかし、それは痛みを伴ってはならないという意味ではないと言います。「深い部分を手術すべき人を大目に見て浅くしかメスを入れないなら、がんを見逃してしまうかもしれない。一方、どんなに必要なメスであっても、情け容赦なく切り込めば、患者は苦痛に耐えかねて全てを捨て……身を投げてしまうかもしれない」。
ラブラドールの愛
キャップ・ダッシュウッドは、2019年、愛犬のブラック・ラブラドールのチェイラと共に、驚くべき記録を達成しました。一年365日、毎日、山頂を制覇したのです。ダッシュウッドは、16歳の時に家を出ました。悪い家庭環境から逃れるためだったと話す以外は、多くを語りません。しかし、彼は心の癒やしを求め、「人間に失望したら、別のところに目を向けるでしょう?」と語ります。彼にとって、「別のところ」は登山であり、チェイラがくれる無条件の愛でした。
話し、信頼し、感じる
作家で神学者のフレデリック・ブフナーは、回顧録『秘密を語る』で、「話すな、信頼するな、感じるな、が、私たちが守ってきた規則でした。それを破れば悲惨でした」と語りました。悪いことが起こったときに守る家族の暗黙の規則がそうだったのです。この規則によると、ブフナーは父の自殺について話したり、悲しんだりしてはならず、心の痛みを打ち明けられる信頼できる人を求めてはいけなかったのです。