神のご加護
針、牛乳、キノコ、エレベーター、出産、蜂、ブレンダーの中の蜂。これはTVドラマ「名探偵モンク」の主人公エイドリアン・モンク刑事の数々の恐怖症の一部です。しかし、積年のライバル、ハロルド・クレンショーとともに車のトランクに閉じ込められると、モンクは閉所恐怖症を克服することができました。
適切な言葉
ここ1年ほどの間に、信仰を語る言葉を見つめ直すよう勧める文書が増えました。ある作家は、神学的に豊かな意味を持つ言葉でも、使い過ぎてしまうとインパクトが薄れ、福音の意味や神の必要性がぼやけてしまうと言います。そして、そんなときは、信仰を語る言葉をゼロから学び直そうと勧めています。初めて福音を聞いたときのように、分かっているという思い込みを捨てるのです。
最悪に嫌な私
ダーシーは「まずまずだ。だが、ぼくの気をそそるほど美しくはない」と語りました。この台詞のおかげで、ジェーン・オースティンの小説『高慢と偏見』は決して忘れられない本になりました。ダーシーを最悪だと思った私は、登場人物のエリザベス・ベネットと同様、彼の本当の姿を知ろうとしませんでした。己の嫌悪感に固執したかったのです。しかし、徐々に、また不本意ながら、考えを変えざるをえませんでした。そして、読後には、私が実生活で同じ間違いをした相手は誰だっただろう、嫌いと決めつけて、逃してしまった友情があったかもしれない、と思いました。
小さくても力持ち
細く甲高い鳴き声が北アメリカのソノラン砂漠で聞こえることがあります。何の声かといぶかるかもしれませんが、これは縄張りを主張するバッタネズミの遠吠えです。これはオオカミネズミという異名を持つ肉食の小動物で、他の動物なら避けて通るサソリなどを捕って食べます。サソリの毒を中和するだけでなく、痛み止めに変えることができるという非常に特殊な能力を有しています。この過酷な環境の下で生き残り繁栄するように、わざわざそう造られたかのようです。このような有様は、使徒パウロがエペソ人への手紙2章10節で述べている神の御業の特徴を想起させます。
想像を超える約束
ニューヨークの刑務所に収容されていたエリアスは、人生はもう終わったと感じていました。彼は「私は未来の自分に対する約束を破ってしまった。将来、あんなふうになるという約束を…」と語ります。そんな彼を変えたのは、バード大学の受刑者向け学位取得プログラム「プリズン・イニシアチブ」でした。その中で、2015年、チームの一員としてディベート大会に参戦し、ハーバード大学のチームに勝利しました。彼は「チームに属したことで、あの約束は完全には失われていないことが証明されました」と語ります。
赦しと未来
南アフリカ政府が1994年、アパルトヘイトと呼ばれる人種隔離制度を撤廃したとき、この制度の下で見逃されてきた犯罪の対処という難問に直面しました。過去を無視することはできませんが、罪を犯した人たちを厳罰に処するなら、国家の分断は深まるでしょう。黒人初の聖公会大主教デズモンド・ツツは「私たちは過去にさかのぼって正義を追求し、南アフリカを灰に帰することもできたが、そうはしなかった」と語ります。彼らは真実和解委員会を発足させ、真実と正義と慈悲を追求する険しい道を選択しました。罪を犯した人でも、それを認め、過ちを正す意思を示すなら、更生の道が用意されました。勇気を持って真実と向き合うことによってのみ、国家の癒しが始まるのです。
役に立つ誘惑
古来、人々に愛読されてきた15世紀の修道僧トマス・ア・ケンピスの著書『キリストにならいて』には、誘惑に対する意外な見解が示されています。ケンピスは、誘惑されたとき、人はへりくだり、きよめられ、教えられると言います。そして、勝利の鍵は、真の謙遜と真の忍耐。そのうちにあって、我々は敵よりも強くなると説明しています。
幹と枝
問題続きの中、激しく揺れ動いた感情をカウンセラーに話すと、心から傾聴してもらった後、外の紅葉を見てごらんと言われました。色づいた枝が風に揺れています。彼女は、幹は動いていないことを指摘して次のように言いました。「私たちもあれと似ています。風が四方八方から人生に吹きつけると心乱れ、自分が枝のように感じます。カウンセリングの目標は、あなたが自分の幹を見つけられるように援助することです。そうすれば風が吹いても、枝のようには動じないでしょう」。
秘訣
飼い猫のヒースクリフは、重度のFOMOかもしれないと時々思います。FOMOとは、いい思いをするチャンスを逃すことへの恐れを指しますが、彼は、買い物袋に飛びついて中身を調べたり、野菜を切っているとおこぼれをねだったりします。しかし、もらうとすぐに興味を無くし、つまらなさそうな顔で立ち去るのです。しかし、その姿は現状に満足せず、「もっと、もっと」と常に求める私の姿を映しているのかもしれません。