私を運んでくださった
最近、大学時代の日記が出てきて、思わず読み返しました。すると、今、自分について感じているように当時は感じていなかったことに気づきました。孤独と葛藤し、信仰に対してもかなり悩んでいました。しかし、今、振り返ってみると、神がより良い状況に私を運んでくださったことが分かります。神があそこから優しく導き出してくださったことを思うなら、今、辛いと感じていることも、やがては、神の癒しの物語の1ページになるはずです。
豊かないのち
姉の家に行くと甥たちが「チョロポリー」という電子ボードを見て欲しいと言いました。それは記録用のカラフルなボードです。子どもたちが良い仕事をすると、緑のボタンを押して自分の口座にポイントを加算します。ドアを開けっ放しにしたなど家のルールに違反をすると、ポイントが差し引かれます。合計点数が高ければ、ゲームのできる時間が伸びるなど素敵なごほうびがもらえます。というわけで、甥たちは意欲的に家の手伝い、ドアもきちんと閉めています。
家の掃除
最近、部屋替えをしましたが、準備に時間がかかりました。部屋を移るだけでなく、ガラクタを処分してすっきりと新たな生活を始めたかったからです。捨てる物、献品する物、リサイクルする物など、分別は骨の折れる仕事でしたが、ご褒美は美しい部屋です。そこで生活すると思うとワクワクしました。ある現代語訳聖書ではペテロの手紙第一2章1節は「家を掃除しなさい。悪意やごまかし、ねたみ、悪口を箒で掃き出してきれいにしなさい」ですが、そのみことばが新鮮に響きました。
信じるに足るお方
友人が涙ながらに「もう誰も信じられない。信じるたびに傷つけられるから」と言いました。別れたばかりのボーイフレンドが彼女の悪口を言いふらしていると言うのです。私は憤慨しました。友人は、子どもの頃の辛い経験を乗り越えて再び人を信じようとしていたのに、裏切られたのです。