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Nancy Gavilanes

Nancy Gavilanes

ナンシー・ガビラネス氏は、作家、講演者、聖書学校講師であり、ポッドキャストの配信やコーチングも行っています。信仰と希望と愛によって歩み、神から与えられた夢を追い求めるよう、人々の背中を押すのが喜びだといいます。ニューヨーク大学でジャーナリズムの修士号を取得し、ニューヨーク・タイムズ紙をはじめ様々な出版物に寄稿。2014年には、デイリーブレッドの読者向けオンライン・ライティング・コンテストの最優秀賞を受賞しました。現在、デイリーブレッドのVOICESコレクション(本社の販売書籍部門)と探求の書シリーズの寄稿ライター。これまでに5冊の本を執筆し、現在も執筆中。ニュースレター newsletter, 公式サイト AboundingFaith.com, Amazon 著者ページ, SNS Instagram, Facebook, X, YouTubeチャンネル YouTube channel (全て英語のみ)

寄稿一覧 Nancy Gavilanes

独りではない

私は長年、さまざまな理由で孤独と闘う人たちの祈りの友になってきました。家族の訪問もない高齢者施設で暮らす人、独りぼっちの自宅が嫌で毎日出歩いている人、悩みを打ち明けられる相手がいない牧師、世間から孤立している家のない人などです。

聖霊に導かれる

ラスベガスからロサンゼルスの道順を検索すると、カーナビが他より1時間近くも時短のルートを提案したので、シェルビー・イースラー姉弟は、それに従うことにしました。しかし、彼女たちは舗装されていない土道を何時間も走ってカリフォルニアのモハーベ砂漠に至り、砂嵐の中、立ち往生してしまいました。引き返そうとすると、悪路の走行のために車のあちこちが破損していて、結局、レッカー移動が必要になりました。そのナビの開発者は、二人と同じ憂き目に遭った多くの人たちに謝罪しました。

信仰に堅く立つ

数年前、道を歩いていると、どう猛そうな犬を連れた人があちらからやってきました。私は普通、犬を怖いとは思わないのですが、この犬は明らかに威嚇してきています。気にしないようにしましたが、突進しようとしたので声を上げてしまいました。幸い、飼い主がリードをしっかり握っていたので大丈夫でした。

信仰の大ジャンプ

幼い皇帝ペンギン、約700羽が、南極大陸の崖っぷちに集まっていました。15メートル下は冷たい海です。やがて1羽が決死のジャンプを試みました。すると、多くがそれに続きました。幼いペンギンは通常、数十センチの高さから飛び込み、初泳ぎをします。このような命懸けのダイブが撮影されたのは、この時が初めてでした。

主に従う

数年前にパリを訪れた際、この憧れの都を一人で散策する時間がありました。その後、エッフェル塔で友人と待ち合わせ、一緒に食事をすることになっていました。一人歩きは順調に進みましたが、途中でスマホの電池が切れてしまいました。地図は持っていなかったので現在地が分からなくなりましたが、都会っ子の私は慌てず、そびえ立つエッフェル塔を目標にセーヌ河畔を歩き続けました。この作戦はおおかた成功でしたが、ゴール付近で目印が周囲のビルに隠れてしまいました。あんなに大きな建造物が隠れてしまうのは驚きでした。最終的に、私は道案内を頼み、無事に友人と会うことができました。

互いを思いやる

赤信号で止まった時、若葉マークのついた前の車に「忍耐をお願いします!」というステッカーが貼ってありました。あおり運転など路上の事件を見聞きする昨今、忍耐の喚起は妙案だと思いました。

イエスのために共に働く

短期伝道旅行でブラジルに行き、アマゾンのジャングルで教会堂の建設に関わりました。土台はできていたので、柱、壁、窓、鉄の梁(はり)、屋根瓦などを、巨大なレゴを組み立てるように合わせて、最後に壁を塗りました。雨季の最中の建設作業を心配する人たちもいましたが、神の恵みで、豪雨は免れました。さまざまな障害はありましたが、地元の人たちの助けも得て、記録的な速さで完成させました。

起き上がる

フィギュアスケートは、氷上でのスピンやジャンプ、美しいポーズなど、高い運動能力と芸術性を融合させたスポーツです。私は10代の頃、これに夢中になりました。多くのプロスケーターの演技を見た後、ついにグループレッスンに参加する機会を得て、滑り方と止まり方を学びました。同時に、どのレベルのスケーターにとっても重要な技術、つまり、転び方と素早い立ち上がり方を教わりました。個人レッスンでは、さまざまなスピンやジャンプを習いましたが、転んだ時は常に、基本の起き上がり方が役に立ちました。

賜物を入れる器

ジャーナリストは、自分の見解を挟まず、誰かの物語を伝えるよう指導されます。ですから、その世界を離れ、神に関するブログを書くように召されると、私は緊張しました。自分の考えを記すのですから。ブログを立ち上げたものの、ネタが尽きたらとも心配しました。しかし杞憂(きゆう)でした。励ましの言葉や洞察が次々と湧き、書けば書くほどアイデアが浮かびました。それは今でも変わりません。