寄稿者

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Nancy Gavilanes

Nancy Gavilanes

ナンシー・ガビラネス氏は、作家、講演者、聖書学校講師であり、ポッドキャストの配信やコーチングも行っています。信仰と希望と愛によって歩み、神から与えられた夢を追い求めるよう、人々の背中を押すのが喜びだといいます。ニューヨーク大学でジャーナリズムの修士号を取得し、ニューヨーク・タイムズ紙をはじめ様々な出版物に寄稿。2014年には、デイリーブレッドの読者向けオンライン・ライティング・コンテストの最優秀賞を受賞しました。現在、デイリーブレッドのVOICESコレクション(本社の販売書籍部門)と探求の書シリーズの寄稿ライター。これまでに5冊の本を執筆し、現在も執筆中。ニュースレター newsletter, 公式サイト AboundingFaith.com, Amazon 著者ページ, SNS Instagram, Facebook, X, YouTubeチャンネル YouTube channel (全て英語のみ)

寄稿一覧 Nancy Gavilanes

自分以外の人のために

昔、ギターが上手な教会の人を褒めた時、彼は「ありがとう。これが僕のミニストリーだから」と言いました。またこの言葉です。私は「ミニストリーって何?どうやって自分のミニストリーを持つの?」と思いました。しかし、彼は楽器が弾けるので、その技術を他の人のために使っている、単にそういうことだと分かりました。その後、私は人を元気にする才能があると気付きました。教会のメンバーに電話をして話を聞いたり、メッセージを送ったりすると、こちらも温かい気持ちになるのです。華々しさのない賜物で、少しがっかりしました。けれども、私は、それが賜物とは分からない時分から、賜物を使っていたのです。

信仰によって歩む

夜の祈祷(きとう)会に参加しようと、その女性は教会堂へ続く階段を、一段一段、極めて慎重に登っていました。痛みと息切れで、立ち止まった時、一人の男性が通りかかり言いました。「一歩ずつですよ。そうすれば必ず着きます。急がずゆっくりいきましょう」。彼女は力をもらったかもしれません。そして、この女性に向けられたその言葉は、疲れた心で歩いていた私のことも、確かに励ましてくれました。

神のもとに駆け寄ろう

エイドリアン・シマンカスは、チリのマゼラン海峡で父親とカヤックをしていましたが、あっと思った瞬間、ザトウクジラに飲み込まれてしまいました。「死ぬのだと思いました」と、24歳の青年は語ります。しかし、数秒後、クジラは彼を冷たい海に吐き出しました。彼は救命胴衣を着けていたので、水面に浮かび、父親に助けられました。

神を待つ

幼い頃、道路の脇のカラフルな看板を見てワクワクしました。目的地である人気の遊園地に、到着したと思ったのです。私は意気揚々と車を降りる準備を始めましたが、その後、同じ看板が何度も現れ、まだ着かないと分かってがっかりしました。やがて、その看板は、まだ先だが近づいてはいる、と知らせているのだと気付きました。

神に関する知識を深める

プールに飛び込むやいなやゴーグルに水が入って、ほとんど見えなくなりました。水泳指導を受けたことがないにもかかわらず、気まぐれで出場した2往復のレースを、ゆっくり、しかし何とか泳ぎ切りました。数年後、私は水泳教室に通い、呼吸の仕方や4泳法を楽しく学びました。知るべきことが分かると大違いでした。

見つけてもらえた

かなり前のことですが、父と一緒にエクアドルのアマゾン流域に行きました。楽しいスピードボートの川旅をして小さな村を訪れ、風景や雰囲気をじっくり味わい、現地の部族について学びました。父は、手作りのイヤリングなどを買ってくれました。私は、そのイヤリングを、特別な日だけに着けていて、姉にレストランで誕生日を祝ってもらった時も着けていました。しかし、帰宅後、片方が無くなっていたのです。それは単なるイヤリングですが、同じものを手に入れるには、アマゾンの奥地まで行かなければなりません。ところが、姉があのレストランを再び訪れた時に尋ねてみると、落とし物として保管されていました。私は大喜びでした。

神は見捨てない

遊園地で人気の乗り物が、きしんだ音を立てながら昇っていく時、私は怖くて目を閉じていましたが、静止ポイントでうっかり薄目を開けると、恐怖に震えました。乗り物は急降下し、私は再度目を閉じ、最後まで叫び続けました。子ども時代のあの恐怖は、今でも忘れられません。

イエスにあって一つ

スポーツを観戦し、選手を取材するという夢は、夏季と冬季のオリンピックのレポーターになって実現しました。若かった私は、世界中から集まった人たちが、さまざまな言語で会話し、各々の国を誇る様子に魅了されました。

イエスを伝えよう

アンデスの細い山道を、バスがぐんぐん登っていきます。チームの面々は、楽しそうに歌ったり笑ったりしていましたが、私は不安な気持ちで車窓を見つめていました。ガードレールもない断崖絶壁の道を、上へ上へと登り続けているのです。この短期宣教チームは、エクアドルのこんなへき地になぜ行くのだろう。そんな疑問がふと頭をかすめるや否や、私は悟りました。そこにいる方々のために死ぬ目的で、神が御子を地上に送られたのなら、神はこの方々を強く愛しておられるはずだ、と。その愛を伝えるためならば、この怖さなど乗り越えられるはずだ、と思いました。