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Patricia Raybon

Patricia Raybon

パトリシア・レイボン氏は、デンバーポスト紙日曜版の元編集者、コロラド大学ボルダー校のジャーナリズム科元准教授です。現在は、神と人を愛するインスピレーションとなるような著書を手掛けています。彼女の目指すのは、恵みをもって信仰と人種問題に取り組むことです。みことばを愛し、世界各地の聖書翻訳プロジェクトにもかかわっています。数々の賞を受賞した著作には、"My First White Friend" "I Told the Mountain to Move"が含まれます。母であり妻であるレイボン氏は、夫ダンとコロラド州に暮らしています。レイボン氏の詳細は、patriciaraybon.comをご覧ください。(英語のみ)

寄稿一覧 Patricia Raybon

キリストの光の内を歩む

ティムは、夜のホテルの部屋はずいぶん暗く、夜中に起きて歩くとつまずきそうだと思いました。しかし、実際はセンサーが装備されていて、人が起きて歩き出すと足元を照らしてくれるのです。

成熟した信仰

ゲイルが駆け出しのキリスト教作家だった頃、出版社は花束やチョコレートなどを頻繁に贈ってくれました。しかし、その贈り物はやがて永続的な価値のあるものに変わりました。通読用の聖書、デボーションガイド、祈りの日記帳などです。これらを使ううちにゲイルの信仰は成長し、人々をキリストへ導くことに真剣になりました。

熟慮し、そして行動する

小さな町の医師エズデンには幼い娘エレノアのための大きな夢がありました。ダウン症の娘が、将来、生計を立てられるような店を開くことです。しかし、どうすれば実現できるのかと不安だったので、ビジネスの始め方を教えるオンライン講座を受けました。そして、ワイオミング州の地元の町でパン屋を立ち上げて軌道に乗せました。スタッフも雇って本格的なビジネスです。成長したエレノアはレジ打ちとオンライン販売を担当しています。エズデンは「町のみんなが娘のことを知っています」と語ります。彼の信仰による思い切った行動は、娘の将来に関する彼の熟慮された計画の具現化です。

外国籍の人

友人の亡き妻は、洋裁の名手でした。長い闘病生活の末に召されましたが、その前にミシンや作業台などを地元の被服協同組合に寄付しました。新しく移民してきた人たちの洋裁学校のためです。友人は「生地だけで28箱もあったよ。6人の女性が来て全部持って行ってくれた。移民の人たちは本当に頑張っている」と言いました。

石のスープ

メギーは薬物常用者で、10年にわたって、刑務所を出たり入ったりしていましたが、ある時、ハンスと出会いました。ハンスは、薬物常用が原因で片手を失いかけたことがあり、「あの時初めて神に泣きついた」と言います。そして神に助けられて薬物から足を洗い、薬物常習者の再生を支援する働きに加わりました。

徹底的に清く

寒さの厳しい冬のある日、教会がホームレスの人たちに配るため200個の包みを作っていました。献品の中に新品の手袋、帽子、靴下、毛布が十分にあるように祈りながら……。温かい汁物と軽食も一緒に配ります。その時、タオルを見つけて驚きました。私は、彼らが寒さをしのぎ、腹を満たすことばかり考えていましたが、体を洗って清潔にすることを考えていた人もいたのです。

聖霊によって装われる

メイン州の田舎に住む2人の8歳の少年は、毎水曜日にスーツで登校し注目されました。まもなく、他の児童や先生たちも彼らに同調し、「おしゃれな水曜日」は大人気となりました。発案者のジェームスは、みんなに褒められて、とてもうれしかったと言います。彼らは、水曜日の装いで、人としての誇りを表現しようとしたのです。

心配事を主に委ねる

ナンシーは悪いことばかり想像して不安でした。夫のトムがハイキングの最中、3度も失神したのです。現地の小さな病院で異常なしと診断され、都会の大きな医療センターで追加の検査をしましたが、異常は発見されませんでした。彼女は非常に不安だったと語ります。医療センターの専門医に最後の質問をしました。「これからどうしたらよいでしょう?」その時の医者の答えが、彼女の視座を完全に変えました。「自分の人生をしっかり生きてください」。それは、気休めではなく知恵の言葉でした。

キリストの平和

ニューヨーク州北部アディロンダック・パークの自然をめぐり、開発か保護かで大論争になりました。商工会のリーダーは、環境保護団体の人たちに「よそ者はさっさと帰れ!」と怒鳴りました。しかし、町役場の人は「強硬な主張で勝てますか? 怒鳴らずに話し合いましょう」と呼び掛け、コモン・グラウンド・アライアンス(共通の土台連合)という仲介組織を作りました。住民の対話集会の成果は、約4,000平方キロメートル(東京都の面積の約1.8倍)の自然が保護されただけではありません。町は過去20年間で最も豊かになりました。