愛を示す
子どもと一緒に新しい日課を始めました。毎晩寝る前にキャンドルに火をつけ、色鉛筆を準備します。そして神に、私たちの道を照らしてくださるようにお願いし、日記を取り出し、次の2つの質問に絵または文章で答えます。今日、愛を示せたのはいつですか。今日、愛を示さなかったのはいつですか。
人となった神
夫が1カ月間の出張に出発してほどなく、私は仕事と家事、育児をひとりでこなすやり繰りに圧倒されてしまいました。原稿の締め切りが迫っています。庭の芝刈り機が壊れました。学校の長期休暇で子どもたちは退屈しています。ひとりでどうすればいいのでしょう。
世界が始まる前に
日曜学校のおませな生徒たちは、「永遠の神」という話をすると必ずこう質問します。「神さまに始めも終わりもなくて、ずっとずっといたのだったら、世界を造る前は、神さまは何をしていたの?」私は今まで、「それはね、神の不思議というものですよ」と答えてきましたが、最近、聖書に答えを見つけました。
悲しみの道
私たちは受難週の間、十字架に向われるイエスの最後の日々を記念します。イエスが十字架を背負って歩まれた道は、現在、ヴィア・ドォロローサ、すなわち「悲しみの道」と呼ばれています。しかし、へブル人への手紙の筆者は、これが単なる悲しみの道でなく「新しい生ける道」(へブ10:20)でもあると考えました。イエスが自らの意思でゴルゴタに向かう苦難の道を歩んでくださったおかげで、私たちは神のご臨在に入れていただけるようになりました。
記念の石
フェイスブックには時々、何年か前に投稿した事が「思い出」として表示されます。それは例えば、弟の結婚式の写真、ひいおばあちゃんと遊んでいる我が子のビデオなどで、私を笑顔にしてくれます。しかし、時には深い感慨にひたらせるものもあります。義理の兄が化学療法をしていたときに自分が書いた言葉や、脳の手術をしたときの母の写真などです。これらを見ると、困難な状況の中に、神の御臨在が確かにあったことを思い出します。これらの「思い出」は、感謝をささげ祈るように、私を促してくれます。
心躍る希望
レジナルド・フェッセンデンは、長年、ラジオの発明に没頭していました。他の科学者は、それを型破りで実現不可能なアイディアだと言っていましたが、1906年12月24日、フェッセンデンは、ラジオで音楽を流す最初の人となりました。
ひとりで走らないで
夫のジャックは初マラソンをひとりで走り、42キロ地点で力尽きてしまいました。給水場で水を飲んだ後にコース横に座り込むと、数分経っても立ち上がれません。もう棄権しようと思ったとき、ケンタッキー州から参加した中年の教師の二人組がやって来ました。まったく知らない人たちでしたが、一緒に走ろうと声をかけてくれました。すると突然、力がよみがえってきました。ジャックは立ち上がり、ふたりの女性ランナーに付き添われてレースを完走しました。
安らかな住まいの約束
世界の難民の数は今日では6,500万人に上るそうです。紛争や迫害のために母国を追われた人の数は史上最大です。国連は各国の首脳に難民の受け入れを要請しています。すべての人が住まいを得て、すべての子どもが教育を受け、すべての大人が有意義な仕事に就けるように促しています。
未完の作品
ミケランジェロは多くの未完成の作品を残しましたが、「髭の奴隷」、「奴隷アトランテ」、「目覚める奴隷」、「若き奴隷」という4つの作品は、わざと完成させなかったと言われています。永遠に奴隷であるならどんな気持ちなのかを示したかったのでしょう。