イエスの目
子どもたちとアイスクリーム店で並んでいたとき、顔に傷のあるこわ面の人に気づきました。服は汚れてはいませんが、しわくちゃです。私は、その人と子どもたちの間に壁を作るように立ちました。話しかけられたときも、よく聞き取らず、目を合わせることもなく、少しうなずいただけでした。ところが、妻が一緒ではなかったので、その人は私たちを父子家庭だと思ったようです。「ひとりで子育てするのは大変だね」と言いました。私はその優しい口調に、思わず彼を見つめました。すると、彼も子ども連れなのに気づきました。そして、彼が妻を亡くしてどれほどになるかなどという話を聞きました。優しい話ぶりは、こわそうな外見とは対照的でした。
まさにガツンとやられました。また外見で判断してしまいました。イエスは、人を寄せつけないような外見の人と出会われました。今日の聖書のみことば(マコ5:1-20)の悪霊につかれた男性もそのひとりです。ところが、イエスはこの人を避けるどころか、彼の必要を満たされました。
私たちには罪の傷跡や、しわくちゃの品性(誠実になろうとしても、途中でつっかえてしまうので)があります。にもかかわらず、イエスは常に愛の目を注いでくださいます。私たちも心の中で人を見下したりせず、イエスの愛で人を愛すことができるように、主に助けていただきましょう。
新ルートを検索
大丈夫、道は分かってるからと言ったのに、人間そっくりの声が「新ルートを検索します」と横槍を入れてきました。やれやれ、これで道に迷っていると同乗者にバレてしまいました。
「新ルートを検索します」の声を聞くと、車を運転する人なら誰でも、角を曲がりそこねたり、道を間違えたりしたのだと分かります。カーナビは、道を外れたことを探知するだけでなく、正しい道に戻るためのルートをすぐさま検索してくれます。
クリスチャンも時として、(霊的な意味で)歩むべき道に戻るために、助けが必要になります。自分にとっての最善は自分が一番よく知っていると主張して、わざと道を外れる人があります。また、神がともに歩みたいと願っておられる道から、だんだん離れて行っているのに、そのことに無頓着な人もいます。
けれども、神はそんな私たちを放ってはおかれません。神はすべてのクリスチャンに聖霊をくださいました(ヨハ14:16-17、Ⅰコリ3:16)。その聖霊は、私たちの罪を指摘されます(ヨハ16:8、13)。私たちが道をそれかかると警告を発して、私たちの良心を呼び起こされます(ガラ5:16-25)。神の警告を無視するのはその人の勝手ですが、そんなことをすれば、結局は自分の身に損失を招きます(イザ63:10、ガラ6:8)。
「罪を示す」という聖霊の働きを通して、神が私たちの生き方に働きかけてくださるのは、何と安心なことでしょう(ロマ8:26-27)。神の助けと導きによって、私たちは神に喜ばれる歩みを続けることができます。
神の優しさを
厳しい不景気のさなか、私は、失業中のクリスチャンが互いをサポートする自助グループを立ち上げました。履歴書の相互チェック、求人情報ネットワーク網、祈りによるサポートなどがその内容です。そんな中、ひとつの問題が浮上しました。自分が就職すると、もう関係ないとばかりに、自助グループに参加しなくなる人がほとんどだということです。そのため、なかなか就職できない人たちは、むしろ孤独感を募らせたのです。
さらに悪いことは、失業を経験したことのない人の言葉でした。「もし、あなたが純粋で正しいなら、まことに神は今すぐあなたのために起き上がり、あなたの義の住まいを回復される」(ヨブ8:6)と、友だちが苦しんでいるヨブに告げたときと同じように責めました。ヨブは、「安らかだと思っている者は衰えている者をさげすみ」(ヨブ12:5)と自分の気持ちを表しましたが、現代の社会で求職中の人たちもおそらく共感するでしょう。
人生が大した問題もなく進んでいる人はともすると、自分は苦境にある人たちよりも優れているとか、神に愛されていると思いがちです。この失われた世界の影響は、いつ、誰のところにやって来るか分からない、ということを忘れてしまうのです。
私たちは、状況が良くても悪くても、みんな神に愛されています。また、状況が良くても悪くても、私たちはみんな、神が必要です。自分に与えられた成功や富、または社会的地位は、困っている人たちを助け励ますツールなのです。
信じたばかりの頃の喜び
ティーボールを考えついた人は、天才だと思います。ティーボールは野球に似ていますが、小さな子どもでも三振することなくボールを打てるからです。このスポーツには、投手はいません。5~6歳の子どもの腰くらいの高さのゴムの台の上に、ボールを置きます。そして子どもは球に当たるまでバットを振り、当たれば走ります。私が初めてコーチをした時、一人目のバッターが外野まで届く大ヒットを打ちました。すると、全員が守備位置を離れてボールを取りに走りました。そして、ひとりがボールを取ったのですが、内野には誰も残っておらず、送球できませんでした。外野では、バッターの快挙に選手全員から歓声が湧き上がりました。
イエスを信じて救われたばかりの人は押さえ切れない喜びが湧き上がり、その人のそばにいると、こちらまで嬉しくなってきます。私たちは喜びをともにしますが、私たちだけでなく、御国の天使らもこの喜びを共有します(ルカ15:7)。新しくクリスチャンになった人は、主イエスを情熱的に愛し、もっと主を知ろう、もっとみことばを学ぼうとワクワクしています。
しかし時がたつにつれ、クリスチャンとして生きる苦労や葛藤にくじけ、今では初めて信仰を持った時の感動が薄れることもあるでしょう。ですから、新しく信仰を持った人たちと喜びを共有しましょう。神は、あなたの信仰をリフレッシュさせるために、この人たちを用いておられるのかもしれません。
気持ちを裏切る
マタイの福音書26章のゲッセマネの園の場面をある人と読んでいたとき、彼は私にこう言いました。「これだけは言える。もし僕がゲッセマネの園にイエスと一緒にいたら、僕はイエスを支えるよ。居眠りなんてとんでもない!」彼は憤慨していました。「イエスはどれほどつらいかを話されたのに、それを聞いた後で、何で居眠りなんかできるんだ。イエスは一生懸命頼んでおられたじゃないか!」(38節)
神には驚かされる
私たちの10年間住んだ家は、借家でしたがとても気に入っていました。ところが突然、家主がその家を売ることになったと知らされました。私は神に「状況を変えてください。妻と私が家庭を築き、子どもの成長を見守ってきたこの場所に留まれるようにしてください」と祈りました。しかし、神の答えは否でした。
神が最近してくださったこと
神は自分のやったことを絶対に赦してくださらない、と考えている人に会いました。ところが、年配のクリスチャンが親身に彼を導き、1年後、その人はイエスを救い主として自らの心に迎えました。それだけでなく、彼は聖書をむさぼるように読んでいると聞き、私は大変喜びました。しかし、しばらくして彼と話したとき、彼の熱心さが不平に代わっていることを知りました。「神はなぜ悪い人たちを栄えさせ、こんなに多くの神の子どもたち(彼自身も含めての意味でしょう)が、ぎりぎりの生活をしているのを見過ごしておられるのだろう」という不満が、彼の信じる喜びを侵してしまったのです。
彼は、私たちの多くがそうであるように、キリストのあわれみがどれほど自分に必要だったか忘れてしまったようです。救われた時の感謝は色あせていました。彼の様子は、ブドウ園に雇われた人たちのたとえ話を思い起こさせます(マタ20:1-16)。この人たちの視点は、自らが仕事を得た感謝から、他人が何を得たかに移ってしまいました(10-12節)。
神は、私たちに何の恩義もありません。それなのに、キリストを受け入れるなら無償で救いをあげようと約束しておられます。神の気前の良さはそれだけではありません。この世の人生に助け主である聖霊を送ってくださり、天国で神とともに永遠に生きるための備えをさせてくださいます。不公平だと感じることがあるときは、神をしっかり見つめ、神のみことばに心を留めましょう。人に目を留めてはいけません。
今も神の御手の中に
神学大学院に入学して新しくできた友人が、自分の話をしてくれました。夫は家族を捨てて出ていき、彼女は働きながらふたりの幼い子どもを育てていました。 最低賃金ぎりぎりの給与しかもらえない仕事をしていたので、家賃の安い、治安の悪い地域で暮らすことを余儀なくされていました。
私にも子どもがいたので、彼女に同情して尋ねました。「それで、子どもたちはどうしているの?」すると、彼女は答えました。「自分にできることはき ちんとして、神の御手の中に子どもたちを託しているのよ。」試練の真っただ中にあって、神を信頼している彼女の姿は、ヨブの姿を思い起こさせました(ヨブ 1:6-22)。
一年後、彼女から電話があり、今から一緒に葬儀場に行ってくれないかと言います。彼女の息子が、走行中の車から無差別に発砲された銃弾に当たって、 亡くなったのです。私は「彼女を慰める言葉を与えてください。説明できないものを説明しようとしませんように」と、神の知恵を祈りました。
あの日、彼女の傍らにいて再び驚かされたのは、他の人たちを慰める彼女の姿でした。神への堅い信頼は、このようなひどいことが起こっても、揺るがさ れませんでした。彼女は別れ際に、こう語りました。「私の息子は、今も神の御手の中にいるわ。」深い信仰を物語る、印象的な言葉でした。ヨブのように「罪 を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった」のです(22節)。
私たちも日々主とともに歩むことによって、揺るがない信仰を育てることができます。