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Randy Kilgore

Randy Kilgore

ランディ・キルゴア氏は、ある会社の人事部長として20年以上働いた後、神学校に行きました。神学修士を取得後、執筆者および民間企業のクリスチャンカウンセラーとして働いてきました。キルゴア氏は妻シェリルとともにマサチューセッツ州に住んでいます。夫妻には、ふたりの成人した子どもがいます。

寄稿一覧 Randy Kilgore

一番嬉しかったプレゼント

修養会で「今までで一番嬉しかったクリスマスプレゼントは何ですか」と質問されると、スポーツマンタイプの男性が、 「その答えは簡単だ」と言いました。「僕は大学を卒業したら、プロのフットボール選手にスカウトされると思っていましたが、そうならなくて腐っていました。そして、周りの人たちを傷つけていたのです。それから2年。フットボールを離れてから2度目のクリスマスに、今隣に座っている友人の教会に、クリスマス劇を観に行きました。求道心などありません。姪が出演するので、行ったのです。そのときの気持ちを表現するのは難しいのですが、なぜか、子どもたちの劇の真っ最中に、僕も羊飼いや天使たちと一緒にイエスに会わなければ、と切実に思いました。会衆が『きよしこの夜』を歌い終わった時には、立つこともできず泣いていました。」彼はもう一度、隣の友人をチラリと見て言いました。「彼は、家族を先に帰しました。そして、イエスを心に迎える祈りを導いてくれたのです。あの夜、僕は、最高のクリスマスプレゼントをもらいました。」すると、隣の友人がすくっと立ち上がって言いました。「みなさん、それが僕にとっても、一番嬉しかったクリスマスプレゼントです。」

国境なき愛

中国で義和団の乱があった1900年、太原市(タイユアン市)の家に閉じ込められた宣教師たちは、助かる望みがあるとしたら、それは彼らの命を狙う群衆の中を突破することだけだと腹をくくりました。そして、武器を片手に何とか脱出しましたが、エディス・クームズは、ふたりの中国人学生が負傷して逃げられなかったことに気づき、危険を冒して引き返しました。彼女は、ひとりを救出しましたが、ふたり目を助けようとしたところで見つかり、殺されてしまいました。同じ頃、忻州(シンチョウ)の宣教師たちは、中国人伝道師、何全奎(カ・ゼンケイ)に伴われて田舎に逃げ、隠れていました。しかし何は、宣教師たちの脱出路を偵察中に捕まり、隠れ家を教えなかったために殺されました。このふたりは、文化や国籍を超えて友を愛しました。彼らの自己犠牲は、それ以上に大きなイエスの愛と自己犠牲を、私たちに示しています。

心を変える

アメリカの南北戦争が終結した日、敗戦した南軍の兵士たちは、両側に北軍の指揮官チェンバレンの部下たちが整列している道を行進しました。ここで何かあれば、待ち焦がれた平和は大量殺人に変わってしまうかもしれません。そんな中、指揮官は、敵軍の兵士たちに向かって敬礼するよう部下たちに命じました。それは、見事で感動的な決断でした。侮辱や悪意の言葉はありません。あるのは、敬意を表す銃と栄誉のために掲げられた刀剣だけでした。

クリスマスの奇跡

主が行なわれた奇しいみわざを思い起こせ。—Ⅰ歴代誌16:12

神学大学院で最初の学期を終えたとき、クリスマス休暇を実家で過ごすための航空券をもらいました。ところが出発の前日、所持金は20ドルにも満たないことに気づきました。空港までの交通費や雑費など、どう考えても20ドルでは足りません。私たち夫婦は途方に暮れながらも祈ることにしました。当時、子どもたちはまだ幼かったのですが(6歳と2歳)、祈りに加わらせることにしました。

私たちが祈っていると、アパートの廊下で足音がしました。「カサッ」と紙の擦れる音がします。ドアの下から封筒が差し込まれ、その中には匿名で50ドル紙幣が入っていました。

6歳の娘の驚いた表情は、私たち夫婦の心情そのものでした。偉大な神は、幼い少女の心にその御名をしっかりと刻まれました。私たちの祈りを聞き、瞬時に応えてくださったのです。こうして私たち家族は、詩篇の作者ダビデのように「そのすべての奇しいみわざに思いを潜め」ました(I歴16:9)。

世界で初めてのクリスマスの夜、力ある全知全能の神は、人を唖然とさせる寛大な赦しと無条件の愛の喜びによって、ご自分の御名を人の心にしっかりと刻まれました。キリストの降誕は、愛と赦しを求める最も熱心な祈りへの応答です。この驚きを、あなたも感じることができますか。 Randy Kilgore

クリスマスの意味とキリストなるお方を知るなら、素晴らしさに満ちた人生が、あなたのものになる。

石打ちの代わりに

姦淫の場で捕らえられた女性を、宗教指導者たちがイエスのところに連れて来ましたが、そこが神のあわれみの届くところだとは知る由もありませんでした。彼らの狙いは、イエスの評判を落とすことでした。イエスが彼女を自由にしなさいと言ったら、モーセの律法に反したと断言できます。一方、死刑に値すると言ったら、ついて来た民衆は、イエスがあわれみ深く恵みに満ちているとはもう思わなくなるでしょう。

優しい影響

米国第26代大統領(1901-1909)になる数年前、セルドア・ルーズベルトは、長男が病気だと知らされました。回復していきましたが、病気の原因を聞いて打ちのめされました。医者は、息子が「燃え尽き症候群」で、その原因は父だと言いました。虚弱な少年だった父は、英雄的な戦士になるという理想を息子に押し付け、プレッシャーをかけていました。それが病気の原因だというのです。これを聞いて、ルーズベルトは優しくなる約束をしました。「息子の心身のどちらにも、もう決してプレッシャーをかけない」と言いました。

道をそれる

夫婦で初めて仕事をしたとき、グズグズすることが私の一番の問題だとはっきり分かりました。妻の役目は、私の文章の手直しとスケジュール管理でした。一方、私の仕事は、妻をいらだたせることのようでした。とは言え、私が締切りや方向性に抵抗しても、大抵は結局、妻の段取りの良さと忍耐に根負けしていたのですが。

神を待ち望む

飛行機を乗り継ぐためにシャトルバスに乗っていると、運転手にバスを止めて待つようにと連絡が入りました。飛行機に乗り遅れるかもしれません。乗客のひとりは我慢できず、すぐに発車しなければ訴えてやると運転手に怒鳴りました。しかし、その時です。空港職員がブリーフケースを持って駆けてくると、怒っていた客に向かって、それを高々と掲げたのです。彼は嬉しそうに言いました。「お客さま、お忘れ物ですよ。先ほど、重要な会議に出るとおっしゃっていたので、きっと必要だと思いまして。」

組み立てが必要

私がため息をつき、家族が笑い出すのは、「簡単組み立て」という言葉です。新婚の頃、シャワーの簡単な修理をしようとして壁の裏側を水浸しにしてしまい、大失敗しました。子どもが生まれて簡単なおもちゃを組み立てるとき、妻に「説明書を見なくても大丈夫」と言ったものの、ひどいことになりました。