恐れのある所に
結婚して12年が経っても私たち夫婦には子どもが与えられず、妻と私は、希望と失望を繰り返す激しい感情の波にもまれていました。友だちの中には、「君が良い父親になれないと、神は知っておられるのかもしれないよ」と、神の思い(?)を説明した人もいました。この友人は、私の母が非常に気性の荒い人だったのを知っていたからです。
待っています
エガートン・ライアソン・ヤングは、1700年代にカナダのソルトー族に福音を伝えた宣教師です。ソルトー族の高齢の族長は、この年になるまで聞いたこともなかったキリストの福音を伝えてくれてありがたいと言いました。そして、神がヤングの天の御父であると聞いたので、「そういうことなら、そのお方は私の父でもあるということなのかね」と尋ねました。ヤング宣教師が「はい」と答えると、群がっていた村の人たちが歓声を上げました。
クリスマスの奇跡
神学大学院で最初の学期を終えたとき、クリスマス休暇を実家で過ごすための航空券をもらいました。ところが出発の前日、所持金は20ドルにも満たないことに気づきました。空港までの交通費や雑費など、どう考えても20ドルでは足りません。私たち夫婦は途方に暮れながらも祈ることにしました。当時、子どもたちはまだ幼かったのですが(6歳と2歳)、祈りに加わらせることにしました。
疑い深い人たちの希望
会社でチャプレンとして働いていたので、様々な人と話す機会に恵まれました。キリスト教に不信感を抱いている人たちもいました。この人たちには大きく3つの壁がありました。
人助けについて
放牧地が雪で覆われてしまうと、牧場で働く人たちは家畜の群れに手で餌をやらなければなりません。干し草を荷車やトラックから降ろして与えると、強いものが他を押しのけて前に出てきます。気が小さかったり身体の弱いものは、人が気遣ってやらないかぎり、なかなか餌にありつけません。
壁を飛びこえなさい
リチャード・カークランド軍曹は、アメリカの南北戦争(1861-1865)で南部連合の兵士でした。北軍がフレデリックスバーグの戦いでメアリーズハイツの突破に失敗し、中間地帯に大勢の負傷兵が取り残された際、カークランドは、敵兵を救援する許可を求めました。そして、水筒を持って石垣を乗り越え、倒れている兵士のそばに身をかがめ、手を差し伸べました。カークランドは、「メアリーズハイツの天使」と呼ばれました。生命の危険を冒して、敵兵たちにキリストのあわれみを示しました。
子どものときの夢
数年前、5年生の生徒に、「もし来週、イエス様が来てくださるとしたら、どんな質問をしたい?」と尋ねました。また、同じことを大人のグループにも聞きました。両者の返答は驚くほど違っていました。子どもの質問は、かわいらしいものから鋭いものまでありました。例えば、「天国では一日中聖歌隊の服で歌っていなければなりませんか」「僕のワンちゃんは天国にいますか」「くじらは、ノアの箱舟に入っていましたか」「私のおじいちゃんは、天国で何をしていますか」といったものです。天国の存在や神の奇跡を疑問視するものは、ほとんどありませんでした。
存在という贈り物
ある会社の人事部長になって間もない頃のことです。ひとりのベテラン社員が亡くなりました。私は彼と面識はなかったのですが、葬儀に出席し、遺族を訪問しました。亡くなった人はレンガ職人で同僚から慕われていましたが、夫人のところを訪ねた人はわずかでした。家族を亡くして辛い人に何と言ったらよいか分からないから、みんないたたまれないのだと、誰かが彼女を慰めていました。
辛い場所
私たちのバイブルスタディーのメンバーのひとりは仕事を失い、ファーストフード店で働くことになりました。彼は高学歴の技術者ですが、科学の急激な変化によって、自分の分野が世の中で用を成さなくなったのです。彼はその状況を、「辛く謙虚さを強いるもの」と語りましたが、さらに、こうも言いました。「ただ良いことは、店にいる若者たちが、私の信仰にとても興味をもっているようなのです。」メンバーのひとりがそれに応えて言いました。「君は謙虚で偉いなあ。強い信仰が無ければできないことだ。」