愛を動機とした働き
エミリー・ケンワードは、少し前にキリストを信じてから、今まで気にならなかったことに疑問を感じるようになりました。例えば、ブライトン市のラベンダー通りは、高齢者が多い地区なのに、お年寄りを見かけないのはなぜだろう、と。その気付きが、行動のきっかけでした。
キリストが定義する
前衛アーティストのマイケル・ランディは、衝撃的なパフォーマンスをしました。自分の全所有物7227点を公衆の面前で破壊し、粉砕してしまったのです。近くのデパートに買い物客が出入りする中、このパフォーマンス・アートは、所有物が自分を定義するという価値観に疑問を投げかけました。
互いの渇望が満たされる
パスカルは、人の心の中には「無限の深淵」があり、神という無限の存在だけが、そこを埋められると語りました。アウグスティヌスは、「あなたがわたしたちを あなたに向けて創られたからです、そのためわたしたちの心は、あなたのうちに憩うまでは 安らぎをえません」と祈りました。ダビデ王は、砂漠で水を求めるように、私たちの全身全霊は、神を「慕い求める」と語ります(詩63:2)。
神を知ろうと目を開く
カフェのテラス席で、幼児を連れた夫婦が友人と話していました。ハトが来て床のパンくずをつつき始めると、それを見た子どもは目を丸くし、大人たちの注意を引こうと、楽しそうにキャッキャと叫びました。ところが、大人たちは、彼女の視線の先は見ずに、ちらっとほほ笑みかけると、もとの会話に戻りました。
唯一無二の宝物
父は母に一目ぼれしました。そして、彼女に会うために呼ばれてもいないパーティーに押しかけたり、自分でパーティーを開いたりしました。やっとデートにこぎつけると宝物の愛車でドライブしました。こうして二人は恋人になりましたが、一つ問題がありました。母は宣教師としてペルーに行くところだったのです。父は彼女を車で空港まで送り、その5カ月後、自身もペルーに行き、求婚しました。しかし、最高なのは裏話です。父は渡航費用のために愛車を売ったのです。
警告する物語
名作映画『市民ケーン』は、新聞王として富と名声を築いたチャールズ・フォスター・ケーンの生涯を描いています。快楽を追い求め、数々の芸術作品を集めた大豪邸と庭園を建造する、コヘレトの言葉2章4-11節をほうふつとさせるような物語です。
正しく認識する
リチャード・グリフィンは、14年間、英国のエリザベス2世の専属警護官を務めました。ある日、王宮近くの丘の散策に同行したところ、2人のアメリカ人ハイカーに会いました。彼らは、質素な装いの女性が女王だとは気付かず、「女王に会ったことはありますか?」と尋ねました。すると彼女は、「私はありませんが、このリチャードはよく会っていますよ!」とお茶目な返答をしました。ハイカーたちは、王族に近い人物に会えたことに興奮し、リチャードと一緒に写真を撮ってほしいと女王にカメラを渡しました。
晩餐のアリストテレス
アリストテレスは、友人同士は対等なので神々の友になれる人はいないと言いました。天上の地位を捨てて人間と同じ低い身分になる神などいないと。しかしイエスは天の御座を後にして人と同じ者になられました(フィリ2:6-8、コロ1:16)。また、最後の晩餐(ばんさん)(マタ26:26-35)の席では、弟子たちに向かって、今後は彼らを友と呼ぶと言われました(ヨハ15:15)。もしアリストテレスがそこにいたならば、どう感じたでしょう。
深夜の友
真夜中に「助けて!」と電話できる相手がいますか。以前、こう質問されて戸惑いました。迷惑と知りつつも頼れる友人を何人持っているでしょう。分からないと思いました。