満足を手に入れる
幸せを求めて頑張ったのに空しいと、人生相談のコラムで嘆く人に、ある精神科医がにべもない回答をしました。人間は幸福になるためではなく「生きて子孫を残すためだけに」存在している。そして、呪われ、満足という「捕まらないチョウのちょっかい」に翻弄(ほんろう)されている、というのです。
謙虚になる日
面白い「記念日」があります。日本の2月には、「ピカチュウの日」とか「にわとりの日」とか「気くばりの日」などというものがあります。今日は、米国では「『謙虚になろう』の日」です。確かに謙虚は美徳ですから、祝う価値があります。しかし、常にそうだったわけではありません。
リバイバルが来る
オールクンはオーストラリア北部の小さな町で、7つの部族の原住民が住んでいました。福音は約100年前に伝えられましたが、報復の文化は残っていました。2015年に部族間の緊張が高まって殺人事件が起こり、報復は必至でした。しかし、2016年の初めに驚くべきことが起こりました。人々が神を求めて祈り出したのです。群衆は悔い改め、雪崩を打って洗礼を受けに出てきました。リバイバルです。人々は喜びのあまり道で踊り、殺人の被害者部族は、加害者部族を赦(ゆる)しました。人口1300人の町で、毎週日曜日、1000人もの人が教会に集まります。
冒険しよう
最近素晴らしいものを見つけました。近所の林に小道を通って入っていくと、秘密の遊び場がありました。誰かの手作りでしょう。小枝で作ったはしごの上には見張り台。木には古い綱で作ったブランコのみならず、つり橋まで架けられていました。古い木や綱で冒険を楽しめるようにした人がいたのです。
どう生きるか
私たち夫婦は10年間、不妊に悩んだ後、新天地で心機一転を図ることにしました。胸が躍る一方で、大好きなラジオの仕事は続けられませんでした。友人のリアムに「天職が何なのか、もう分からない」と打ち明けると、「ここで放送の仕事は?」と質問されました。していないと答えると「結婚生活はどう?」と尋ねられました。急な話題の転換に驚きながらも「うまくいっている。二人して辛い道を通ったけれども、この試練で夫婦の絆が深まった」と答えました。彼は笑顔で「絆は福音の核心だよ。世の中には君たちのように互いに誠実な夫婦が必要だ。何をするかではなく、どう生きるかで、十分に大きな影響を与えているよ」と言いました。
主が共に歩まれる
ある聖歌隊が歌う「イエスは共に歩まれる」が、以前ヒットしましたが、その裏には物語がありました。薬物依存のリハビリを始めた時、ジャズ・ミュージシャンのカーティス・ランディがこのグループを立ち上げました。古い賛美歌に触発され、皆の希望となるように、患者仲間と曲を作りました。「私たちは全身全霊で歌いました。救ってください、薬物依存から抜け出させてくださいと、イエスにすがる思いで歌いました」と語る人や、歌っている時は慢性痛が和らいだと言う人などがいました。彼らは歌う時、解放を求めて必死に祈っていたのです。
兄弟姉妹
カウンセリングルームに行くと、カレンは泣いていました。彼女は結婚を願う42歳でしたが、好意を示してきた人は、既婚の上司でした。カレンは父に相手にされず、兄にいじめられて育ったので、自分は男性に付け入られやすいと分かっていました。信仰をもってからは一線を引いていましたが、結婚願望は去らず、この恋に悩まされていました。
物語は終わっていない
英国の刑事ドラマ『ライン・オブ・デューティー 汚職特捜班』の最終回の視聴率は記録的でしたが、悪の勝利を示唆する後味の悪いエンディングに、多くのファンは失望しました。ある人は「正義が勝ってほしかった。そういう道徳的な結末が必要だ」と語りました。
避け所
丈夫で大きな窓と分厚い石壁の素敵なホテルに夫婦で泊まったことがあります。海沿いのその場所を、ある日の午後、嵐が襲いました。海はしけて、荒波が怒った鉄拳のように窓に打ちつけました。しかし、私たちは平気でした。ホテルの土台は強固で、壁も頑丈だからです。外は嵐が吹き荒れる中、私たちの部屋は、「避け所」でした。