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Tim Gustafson

Tim Gustafson

ティム・グスタフソン氏は、「デイリーブレッド」と「Our Daily Journey」のライター、そして「探求の書シリーズ」の編集者として主に仕えています。宣教師の養子としてガーナで育ったので、欧米の生活を全く別の視点で見ることができます。ティムと妻リサとの間には、ひとりの娘と7人の息子がいます。大好きな聖書のみことばは、「みなしごの父、やもめのさばき人は 聖なる住まいにおられる神。神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる」(詩篇68:5-6)ですが、それは驚くに値しないかもしれません。

寄稿一覧 Tim Gustafson

コシの勇気

トーゴ共和国のモノ河で洗礼を待つ間、コシは古びた不気味な木像をおこしておいた火に投げ込みました。彼の一族はずっとこれを拝んできたのです。これに最上の鶏をささげることは、もう二度とありません。

二枚の写真

友だちに写真を見せている老婦人がいました。一枚目は故郷のブルンジ共和国にいる娘の写真。二枚目はその娘に生まれた孫の写真です。けれども、孫を抱いているのは娘ではありません。出産で亡くなったのです。友だちは老婦人の頬に手をやって「分かるわよ、分かるわよ」と涙ながらに言いました。彼女もまた、二ヶ月前に息子を亡くしていました。同じ経験をした人の思いやりは特別です。その辛さを知っているのですから。

私の全て

教会の音楽には何かが欠けていると感じていた青年アイザック・ウォッツは、もっと良いものを作りなさいと父親に促され、挑戦しました。ウォッツの作品「十字架にかかりし」(聖歌158番)は、英語の賛美歌の傑作と言われ、多くの言語に翻訳されています。

「主の頭、主の手、主の足から悲しみと愛がまざって流れ落ちる、悲しみと愛が出会う、いばらで作られた貴い冠」(原詞訳)という歌詞は、私たちを十字架のもとに導きます。

小さな嘘と子猫

生まれたての子猫のベッドから4歳の息子が飛びのいたので、ママは「触ったの?」と尋ねました。猫を触ってはダメだと言ってあったからです。「触ってない!」と真顔で答えるので、ママは別の質問をしました。「柔らかかった?」すると息子は「うん、黒いのがミャーって鳴いたよ」と白状しました。

疑いの死

トマスと言えば「疑った人」になりますが(ヨハ20:24-29)、その見方は偏っていないでしょうか。私たち自身、処刑された 「先生」がよみがえったと聞いて、信じられるでしょうか。

お呼ばれ

お気に入りの服を着て、4歳のアッシャーは嬉しそうでした。それは、ワニが頭に噛みついたかに見えるフードのついたパーカーです。ママは、久しぶりに友人宅を訪れるのだから、きちんとした服装をさせたいと思っていました。それで、「その服はお呼ばれにふさわしいかしら…」と言うと、彼は自信たっぷりに「もちろん!」と応じました。アッシャーは、それを着ていくと決めていました。

罪ある人間そのもの

英国の作家イーヴリン•ウォーは、言葉づかいの悪さで人柄が分かるような人でした。やがてキリスト者になりますが戦いは続き、ある日、「そんな態度でクリスチャンだと言えるのですか」と言われました。すると彼は、「私はひどいかもしれません。でも、信仰がなければ、人間以下だったでしょう」と答えました。

増殖された愛

カレンが集っている教会で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された女性がいました。この病気は神経と筋肉を侵し、やがては全身を麻痺させます。彼女の医療保険は、自宅介護をカバーしません。彼女の夫は、病気の妻を施設に入れなければならないなんて耐えられないと言いました。

個人的な話

ニューヨークの教会の外に、キリスト降誕を人形で再現した展示がありました。その飼い葉おけの中に、新生児が入れられているのが見つかりました。困窮した母親が赤ちゃんを暖かく包んで、助けてもらえそうな所に置いたのです。彼女を非難することもできますが、この子に生きるチャンスが与えられていたことを、神に感謝したいと思います。というのも、私自身が養子で、自分の出生について何も知らないからです。