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Tim Gustafson

Tim Gustafson

ティム・グスタフソン氏は、「デイリーブレッド」と「Our Daily Journey」のライター、そして「探求の書シリーズ」の編集者として主に仕えています。宣教師の養子としてガーナで育ったので、欧米の生活を全く別の視点で見ることができます。ティムと妻リサとの間には、ひとりの娘と7人の息子がいます。大好きな聖書のみことばは、「みなしごの父、やもめのさばき人は 聖なる住まいにおられる神。神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる」(詩篇68:5-6)ですが、それは驚くに値しないかもしれません。

寄稿一覧 Tim Gustafson

単純な話ではない

旧約聖書の律法を見ると、人生は明快です。神に従えば恵まれ、背けば困難に見舞われる。もっともな話かもしれませんが、実際、そんなに単純でしょうか。

一度しか死ねない

奴隷の子として生まれ虐待された少女、ハリエット・タブマン(1822-1913)は、母が語った聖書物語に希望を見いだしました。イスラエル人が奴隷から解放された話から、神のみこころは、ご自分の民が自由になることだと教えてくれました。やがて、ハリエットは逃亡して自由州に逃げ込み、奴隷ではなくなりました。しかし彼女は、それだけでは不満でした。依然、多くの人たちが奴隷だったからです。彼女は、逃亡奴隷を助ける危険な運動を指揮しました。「一度しか死ねないのだから」と言っていたそうです。

唐辛子

サハラ砂漠で過ごした少年時代を振り返って、サムは言いました。「夜寝る前にお母さんが、唐辛子をくれるんだ。辛くて水を飲むと、おなかがふくれるだろう。でも、やっぱり腹ペコだったよ。」サムの父は政変によって亡命を余儀なくされ、残された家族を母がひとりで支えていました。弟は赤血球異常による貧血症でしたが、病院に行くお金はありません。教会に行っていましたが、サムにとっては無意味でした。むしろ、「どうして神さまは僕らをこんな目にあわせるのだろう」と思っていました。

廃墟の中から

ティファレト・イスラエル・シナゴーグは19世紀、エルサレムのユダヤ人地区に造られましたが、1948年、アラブ・イスラエル戦争で爆破され、その後は廃墟のままでした。しかし2014年、再建工事が始まりました。市の役人が、がれきのかけらを取って礎石とする中、ある役人は哀歌の一節、「主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日を昔のように新しくしてください」(哀5:21)を朗読しました。

型破りな戦術

ある女性が1980年のボストン・マラソンの最中に地下鉄に乗りました。彼女はマラソンをしていたはずなのに…。目撃者によると、彼女はゴール直前で再びレースに紛れ込んだそうです。そして良いポジションでゴールしましたが、奇妙なことに息切れもせず、汗もかいていませんでした。

逃げるな

ジョン・パイパー師は1986年、大きな教会の牧師でしたが、辞任を考えていました。当時の日記には「失望とむなしさ。まわりは敵だらけ」とあるそうです。しかし彼は留まりました。そればかりか、その教会を超える大きな働きを組織して指導するようになりました。成功の定義は色々ですが、それでもパイパー師は成功した牧師だと言えるでしょう。しかし、もしその働きが大きくならなかったらどうでしょう。

小屋についての物語

その高級感ただよう古いログハウスは、主人が自ら切り出した木で建てられ、雑誌の表紙を飾るにふさわしいものでした。しかし、それは価値ある宝の半分にすぎず、もう半分は室内にあります。壁には数々の家宝が飾られ、食卓には手編みの籠や骨董の盆、ランプが置かれていました。玄関の戸には古い帽子がかけられています。「ここにあるすべての物には物語があります」と家主は自慢げに語りました。

水が頬を赤く染めるとき

百聞は一見に如かずと言いますから、カメラやビデオの発明後にイエスが来られたなら、もっと多くの人が信じたのではないでしょうか。しかし、ラビ・ザカリアス牧師は、そうではないと言います。彼は、言葉は何千枚もの写真に勝ると言い、その例としてクラショーの詩の一節、「意識ある水は自らの主を見て頬を赤く染めた」を挙げました。たった一行でイエスの最初の奇跡(ヨハ2:1-11)の神髄が示されました。大工が水を葡萄酒に変えることはありません。水はイエスが己の創造主だと分かったのです。

隠れているライオン

父は低木の茂みに隠れてライオンのようにうなり、私たちと遊んでくれました。私たちは1960年代にガーナの田舎に住んでいましたが、それでも、ライオンと出くわすなどありえないことでした。それで、私たち兄弟は笑いながらうなり声のもとを捜して、父と楽しく遊んだのです。ところがある日、友だちが遊びに来ていました。そして、あのうなり声が聞こえてくるや、悲鳴を上げて走り出しました。私たちは、この危険が幻だと知っていましたが、なぜか、いっしょに走り出しました。父は友だちを怖がらせてしまって、本当に申し訳なく思いました。そして、私たち兄弟は、他人のパニックに踊らされてはいけないことを学びました。