寄稿者

すべて見る
Tim Gustafson

Tim Gustafson

ティム・グスタフソン氏は、「デイリーブレッド」と「Our Daily Journey」のライター、そして「探求の書シリーズ」の編集者として主に仕えています。宣教師の養子としてガーナで育ったので、欧米の生活を全く別の視点で見ることができます。ティムと妻リサとの間には、ひとりの娘と7人の息子がいます。大好きな聖書のみことばは、「みなしごの父、やもめのさばき人は 聖なる住まいにおられる神。神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる」(詩篇68:5-6)ですが、それは驚くに値しないかもしれません。

寄稿一覧 Tim Gustafson

寒さの中で

住宅支援サービスで働いていたときのことです。切羽詰まった声で電話がかかってきました。借家の暖房が壊れて、家の中は冷凍庫みたいだといいます。幼い子どもがいるのだと、声の主はパニックです。私は、ホテルに泊まって代金を大家に請求してくださいと、マニュアル通りに答えました。

驚くほどの正直さ

牧師が教会役員のひとりを指名して、礼拝のために祈ってくださいと言うと、彼は「申し訳ありませんが、教会に来る途中、夫婦喧嘩をしていたので、今祈れる状態ではありません」と答えました。会堂には何とも気まずい雰囲気が流れましたが、牧師が祈って礼拝は進みました。牧師は、祈る人を抜き打ちで指名することは二度としないと心に誓いました。

アバ、父よ

ゆかいな父の日のカードがありました。筋肉隆々の男性が、片手で芝刈り機を押し、もう片手で三歳ぐらいの娘の乗った子ども用の車を手慣れた様子で引っぱっています。女の子は騒音でうるさい庭で楽しそうです。こんな二刀流は少々危険かもしれませんが、これを描いた人は、父親だって仕事と子育てを両立できると言いたいのです。

単純な話ではない

旧約聖書の律法を見ると、人生は明快です。神に従えば恵まれ、背けば困難に見舞われる。もっともな話かもしれませんが、実際、そんなに単純でしょうか。

一度しか死ねない

奴隷の子として生まれ虐待された少女、ハリエット・タブマン(1822-1913)は、母が語った聖書物語に希望を見いだしました。イスラエル人が奴隷から解放された話から、神のみこころは、ご自分の民が自由になることだと教えてくれました。やがて、ハリエットは逃亡して自由州に逃げ込み、奴隷ではなくなりました。しかし彼女は、それだけでは不満でした。依然、多くの人たちが奴隷だったからです。彼女は、逃亡奴隷を助ける危険な運動を指揮しました。「一度しか死ねないのだから」と言っていたそうです。

唐辛子

サハラ砂漠で過ごした少年時代を振り返って、サムは言いました。「夜寝る前にお母さんが、唐辛子をくれるんだ。辛くて水を飲むと、おなかがふくれるだろう。でも、やっぱり腹ペコだったよ。」サムの父は政変によって亡命を余儀なくされ、残された家族を母がひとりで支えていました。弟は赤血球異常による貧血症でしたが、病院に行くお金はありません。教会に行っていましたが、サムにとっては無意味でした。むしろ、「どうして神さまは僕らをこんな目にあわせるのだろう」と思っていました。

廃墟の中から

ティファレト・イスラエル・シナゴーグは19世紀、エルサレムのユダヤ人地区に造られましたが、1948年、アラブ・イスラエル戦争で爆破され、その後は廃墟のままでした。しかし2014年、再建工事が始まりました。市の役人が、がれきのかけらを取って礎石とする中、ある役人は哀歌の一節、「主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日を昔のように新しくしてください」(哀5:21)を朗読しました。

型破りな戦術

ある女性が1980年のボストン・マラソンの最中に地下鉄に乗りました。彼女はマラソンをしていたはずなのに…。目撃者によると、彼女はゴール直前で再びレースに紛れ込んだそうです。そして良いポジションでゴールしましたが、奇妙なことに息切れもせず、汗もかいていませんでした。

逃げるな

ジョン・パイパー師は1986年、大きな教会の牧師でしたが、辞任を考えていました。当時の日記には「失望とむなしさ。まわりは敵だらけ」とあるそうです。しかし彼は留まりました。そればかりか、その教会を超える大きな働きを組織して指導するようになりました。成功の定義は色々ですが、それでもパイパー師は成功した牧師だと言えるでしょう。しかし、もしその働きが大きくならなかったらどうでしょう。