寄稿者

すべて見る
Winn Collier

Winn Collier

ウィン・コリエ氏は、ミシガン州ホランドに家族と住んでいます。 25年間牧師として神に仕えています。ウェスタン神学大学院の教師、ユージン・ピーターソン・クリスチャン・イマジネーション・センターのディレクターも務めています。友人との時間を大切にし、フェアトレードのコーヒー、良質な映画と本、山、問答、森林散策などが好きです。体裁を気にすること、恐れ、不正などは嫌いだと言います。お気に入りのカフェが近所にないことも嫌なことに挙げられると言います。雑誌の寄稿者でもあり、5つの著書(Restless Faith, Let God: The Transforming Wisdom of François Fénelon, Holy Curiosity, the epistolary novel Love Big, Be Well, and A Burning in My Bones: The Authorized Biography of Eugene Peterson.)があります。

寄稿一覧 Winn Collier

時間を最大限に活かす

クリスティーナ・コック宇宙飛行士は、2019年3月14日、国際宇宙ステーションに向かい、328日後、ギネス世界記録「女性による最も長い宇宙飛行」に認定されました。その間、上空約400kmの生活は、5分刻みで管理されました。日々、実験や食事など無数の任務があり、その進捗(しんちょく)状況がモニター上の赤いラインで示されます。遅れると一目瞭然です。一瞬も無駄にできません。

飢えた人たちを救う

何年も厳しい干ばつに苦しむ「アフリカの角」と呼ばれる地域があります。作物は枯れ、家畜は死に、1千万人以上が命の危険にさらされています。この地で戦争や迫害から逃れ、ケニヤのカクマ難民キャンプにたどり着いた人々の状態は悲惨を極めます。最近の報告の一例によると、母親に連れて来られた赤ん坊は極度の栄養不良で、皮膚も毛髪も干からび、笑うことも食べることもできません。小さな体はぐったりしていて、専門医の対応が即刻必要でした。そこは無い無い尽くしでしたが、感謝なことに、生死に関わる事態に備えた体制は整えられていました。

信仰の鍛錬

それは2016年6月、英国のエリザベス女王の90歳の誕生日の祝賀行事の最中でした。女王は馬車に乗り、群衆に手を振って、微動だにしない近衛兵の長い隊列の前を通り過ぎました。暑い日でしたが、兵士たちは黒色のウールのズボン、赤い詰襟のウールの上着、クマの毛皮でつくった巨大な帽子という伝統の制服姿でした。その時、隊列にいた一人の兵士が気絶しました。何と、直立不動の姿勢で1枚の板のように前に倒れ、砂地に顔をつけました。地面に横たわっても、「気をつけ」の姿勢のままでした。

無謀で軽率

ホーリー島とも呼ばれるリンディスファーン島は、潮が満ちると島となり、干潮になると土手道で英国本土とつながります。1日に2回、海水が道を覆います。潮位が高いときの横断は危険だと伝える看板がありますが、その警告を無視して、車を水没させたり、避難小屋まで泳いで救助を待ったりする観光客が頻繁に現れます。潮位は日の出と同様に予測できますし、警告の看板はあちこちにあって見落とすことはありえません。しかし、ある人が言うとおり、「リンディスファーンは、無謀な人が潮と競って勝とうとする所」です。

清めをもたらす告白

彼は、自らの死を悟った人に雇われます。その仕事は、故人が守り続けた秘密を葬儀で明かすことです。弔辞を中断させた経験もあります。彼の話をさえぎろうとする司式者に座るように促したこともあります。ある時、棺に眠る人は宝くじに当たって大金を得たことを誰にも言わず、事業に成功したかのように何十年も振舞っていた、と打ち明けました。不倫の事実を未亡人に告げたことは、何度もありました。これを身勝手というか、誠意というか、いったいどちらでしょう。しかし、確かに言えることは、故人は生前の罪から解放されたかったのです。

祝宴

バージニア州にいた頃、私たちの教会の洗礼式はリバナ川でした。日差しが暖かい日でも、水は氷のようでした。日曜礼拝の後、皆で車に乗り込んで市立公園に行きました。近所の人がフリスビーを投げ、子どもが遊び場に群がる中、大勢で川辺まで歩いて行くのですが、それは壮観な光景でした。私は氷交じりの水の中に立ち、聖書を読み、受洗者たち一人一人に浸礼を施します。彼らがずぶ濡れで水から上がると、歓声と拍手が沸き起こります。彼らが土手に登ると、家族や友人はハグで迎え、誰もがずぶ濡れになりました。それから、皆で飲み物やお菓子を楽しみました。それを見ていた人たちは、何が起こっているのか分からなかったかもしれません。しかし、それがお祝いであることは理解したでしょう。

解放する神

リンカーン大統領の奴隷解放宣言から2年半が経ち、南軍はすでに降伏していましたがテキサス州は奴隷解放令に服しませんでした。しかし、1865年6月19日、北軍のグレンジャー将軍がテキサス州ガルベストンに入り、全奴隷を解放せよと命じました。自由の宣告を受けた人々の衝撃と喜びは、想像を絶します。

砂漠に花が咲く

約100年前、エチオピアの国土のおよそ40パーセントは緑豊かな森でした。しかし今日、その割合は約4パーセントです。人々は、森林保全をせずに開墾し、自然環境を危機にさらしています。その中にわずかに残った森が点在しています。その多くは教会が管理してきた土地です。エチオピア正教会の各教会は何世紀にもわたって、砂漠の中の緑地を大切に守ってきました。航空写真を見ると、砂色の大地の中に緑の島々があるようです。教会の指導者たちは、自分たちは神の被造物の管理人であり、木々を守ることは、神に対する従順の一端だと固く信じています。

平和の作り主イエス

米国の南北戦争真っただ中の1862年12月30日。両軍はテネシー州のストーンズ川を挟み600メートルほど離れて陣を張り、たき火を囲んで暖を取っていました。北軍の陣営はバイオリンとハーモニカで「ヤンキードゥードゥル」を演奏し、南軍は「ディキシー」の演奏で応じました。そして最後には「ホーム・スイートホーム」を両軍で合奏したのです。音楽を通した闇夜の交流。想像を超えた平和のほのかな光。それははかない平和でした。翌朝、彼らは楽器を銃に持ち替え、24,645名が落命したのです。