神のあわれみを映す
ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した冬戦争(1939年~1940年)の際、負傷して倒れていたフィンランド兵にソ連の兵士がライフルを向けながら近づいてきました。フィンランド兵はもうだめだと思いました。しかし、相手は応急処置のキットを渡して立ち去りました。その兵士は、なんと後日、逆の立場で同じ状況に出くわしました。負傷して倒れているソ連の兵士に遭遇した彼は、医療品を渡して立ち去ったのです。
神だと分かる
初めて訪れるインドのベンガルールの空港に真夜中に降り立ちました。慌ただしいメールのやり取りがあったものの、誰が迎えに来てくれるのか、どこで会うのか分かりません。荷物受取所から税関を抜け、混雑した蒸し暑いロビーに出て、私に笑顔を向ける人を探しました。1時間ほど人混みの中を行ったり来たりしていると「コリアーさんですか?」と尋ねる人がいました。「申し訳ありません。お顔が分かると思ったのですが……。何度もすれ違っていますよね」と彼は言いました。
神の回復の約束
ハリケーン・ローラは勢力を強めながらメキシコ湾を北上し、ルイジアナ州に向かっていました。地元の保安官は、風速65mを超えると知って、衝撃的な警告を発しました。「避難してください。避難指示に応じない場合、氏名、住所、マイナンバー、親族の連絡先を書いた紙をジップ付きのポリ袋に入れ、自分のポケットに入れてください。その情報が必要にならないことを祈ります」。ひとたびローラが上陸したら、破壊の様子を眺めるほか何もできないと知っていたのです。
愛は死のように強い
プロテスタント教会とカトリック教会の墓地を分ける長い壁に沿って、オランダのルールモントを歩いていると、奇妙な光景を目にします。壁を挟んで同じ形の背の高い墓石が立っているのです。ある男性がプロテスタントの墓に、その妻がカトリックの墓に埋葬されています。19世紀の文化の下では、二人は別々の墓地に埋葬されなくてはならなかったからです。しかし、彼らはそれに抗いました。二つの墓は数十センチしか離れていません。背の高い墓石の上部からは棒状の「腕」が伸びていて、その「腕」はしっかりとつながれています。この夫婦は死んでも離れたくなかったのです。
時間を最大限に活かす
クリスティーナ・コック宇宙飛行士は、2019年3月14日、国際宇宙ステーションに向かい、328日後、ギネス世界記録「女性による最も長い宇宙飛行」に認定されました。その間、上空約400kmの生活は、5分刻みで管理されました。日々、実験や食事など無数の任務があり、その進捗(しんちょく)状況がモニター上の赤いラインで示されます。遅れると一目瞭然です。一瞬も無駄にできません。
飢えた人たちを救う
何年も厳しい干ばつに苦しむ「アフリカの角」と呼ばれる地域があります。作物は枯れ、家畜は死に、1千万人以上が命の危険にさらされています。この地で戦争や迫害から逃れ、ケニヤのカクマ難民キャンプにたどり着いた人々の状態は悲惨を極めます。最近の報告の一例によると、母親に連れて来られた赤ん坊は極度の栄養不良で、皮膚も毛髪も干からび、笑うことも食べることもできません。小さな体はぐったりしていて、専門医の対応が即刻必要でした。そこは無い無い尽くしでしたが、感謝なことに、生死に関わる事態に備えた体制は整えられていました。
信仰の鍛錬
それは2016年6月、英国のエリザベス女王の90歳の誕生日の祝賀行事の最中でした。女王は馬車に乗り、群衆に手を振って、微動だにしない近衛兵の長い隊列の前を通り過ぎました。暑い日でしたが、兵士たちは黒色のウールのズボン、赤い詰襟のウールの上着、クマの毛皮でつくった巨大な帽子という伝統の制服姿でした。その時、隊列にいた一人の兵士が気絶しました。何と、直立不動の姿勢で1枚の板のように前に倒れ、砂地に顔をつけました。地面に横たわっても、「気をつけ」の姿勢のままでした。
無謀で軽率
ホーリー島とも呼ばれるリンディスファーン島は、潮が満ちると島となり、干潮になると土手道で英国本土とつながります。1日に2回、海水が道を覆います。潮位が高いときの横断は危険だと伝える看板がありますが、その警告を無視して、車を水没させたり、避難小屋まで泳いで救助を待ったりする観光客が頻繁に現れます。潮位は日の出と同様に予測できますし、警告の看板はあちこちにあって見落とすことはありえません。しかし、ある人が言うとおり、「リンディスファーンは、無謀な人が潮と競って勝とうとする所」です。
清めをもたらす告白
彼は、自らの死を悟った人に雇われます。その仕事は、故人が守り続けた秘密を葬儀で明かすことです。弔辞を中断させた経験もあります。彼の話をさえぎろうとする司式者に座るように促したこともあります。ある時、棺に眠る人は宝くじに当たって大金を得たことを誰にも言わず、事業に成功したかのように何十年も振舞っていた、と打ち明けました。不倫の事実を未亡人に告げたことは、何度もありました。これを身勝手というか、誠意というか、いったいどちらでしょう。しかし、確かに言えることは、故人は生前の罪から解放されたかったのです。