寄稿者

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Winn Collier

Winn Collier

ウィン・コリエ氏は、ミシガン州ホランドに家族と住んでいます。 25年間牧師として神に仕えています。ウェスタン神学大学院の教師、ユージン・ピーターソン・クリスチャン・イマジネーション・センターのディレクターも務めています。友人との時間を大切にし、フェアトレードのコーヒー、良質な映画と本、山、問答、森林散策などが好きです。体裁を気にすること、恐れ、不正などは嫌いだと言います。お気に入りのカフェが近所にないことも嫌なことに挙げられると言います。雑誌の寄稿者でもあり、5つの著書(Restless Faith, Let God: The Transforming Wisdom of François Fénelon, Holy Curiosity, the epistolary novel Love Big, Be Well, and A Burning in My Bones: The Authorized Biography of Eugene Peterson.)があります。

寄稿一覧 Winn Collier

みなしごの父

ニューヨーク市の児童福祉課の職員ガイ・ブライアントは、里親が即座に必要なケースに連日遭遇します。彼は独身で子どもはいませんが、何かしようと行動しました。里親を10年以上も続け、里子は50人を超えます。一度に9人の面倒を見た時期もありました。彼は言います。「住む所が無い子がいて、自分の家と心にスペースがあるなら、考える必要はありません。行動するだけです」。成長した里子たちは、各々自分の人生を築いていますが、今もブライアント家の鍵を持っています。日曜日には「パパ」とランチをしようと、たびたび戻ってきます。多くの子が父親の愛情を味わいました。

全世界の癒やし

スロベニア西部の人里離れた峡谷にあった秘密の医療施設(フランジャパルチザン病院)は、多くのスタッフを擁し、第2次世界大戦中、何千人もの負傷兵の世話をしました。度重なるナチスの探索を回避したこと自体、驚きますが、さらに注目すべきは、スロベニアのファシズム抵抗団体が運営していたにもかかわらず、敵味方の区別なく、連合軍と枢軸国双方の兵士の治療をしたことです。

深い絆

イラクから米国に移民したアミナと生粋のアメリカ人のジョセフは、相反する主張のデモ行進に参加していました。私たちは、民族や政治信条で分断された人々は互いを憎悪していると信じ込まされています。しかし、ジョセフが暴力を振るわれそうになったとき、アミナは助けに駆けよりました。ジョセフは、報道記者に「自分たちは全く相容れないけれど、『それはダメ』という共通の瞬間がある」と語りました。ふたりは、政治信条より深い何かで結ばれていました。

激しい戦い

冒険家のカール・アケリーは、1896年、エチオピアの奥地で体重30キロ以上のヒョウに追いかけられました。ヒョウは彼に飛び掛かって牙をむきましたが、彼は右腕でそれを阻みました。両者は砂の中で格闘しました。長く恐ろしい戦いで消耗し、先に諦めた方がやられるのです。アケリーは最後の力を振り絞って素手でヒョウの首を締めて殺しました。

本当に生きる

それはイースターの翌週でした。前の週に、復活の物語を何度も聞いてきた5歳の息子ワイアットが車の後部座席で物思いにふけっていました。そして、運転席の私に「パパ」と呼びかけると、難問を尋ねるときのように一呼吸おいてからこう言いました。「イエスさまが僕たちを生き返らせるとき、僕たちは本当に生きているの、それとも頭の中だけで生きているの?」

全てを変える

イェール大学で長年教鞭をとったヤロスラフ・ペリカン教授は、キリスト教史の権威と言われ、30冊以上の本を出版し、名誉あるクルーゲ賞を受賞しました。しかし、ある学生は、恩師の業績より、その臨終の言葉に最も感銘を受けたそうです。「もし、キリストがよみがえられたなら、他のことはどうでもよい。そして、もしキリストがよみがえられなかったなら……他のことは、どうでもよく空しい」。彼の言葉は使徒パウロの信念と同じです。「キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります」(Ⅰコリ15:14)。

誠実な生き方

クロスカントリーの国際試合で、ケニヤのアベル・ムタイ選手は勝利まで数メートルのところで標識を見誤りました。ゴールの手前でゴールだと思い込み、走るのをやめたのです。ムタイを追ってきたスペイン選手イバン・フェルナンデスはそれに気付くと、腕を前に突き出してムタイをゴールさせました。優勝をゆずった理由を記者たちが尋ねると、ムタイが勝者だと述べ、「あんなことで勝っても何の価値があるでしょう。そのメダルに栄誉があるでしょうか。私の母はどう思うでしょう」と語りました。ある記者は「フェルナンデスは勝利ではなく誠実を選んだ」と報じました。

良い知らせの喜び

アラスカ地震は1964年のある夕刻に発生しました。マグニチュード9.2、4分以上の揺れに、アンカレッジ市街は巨大な穴と瓦礫の山と化しました。レポーターのジェニー・チャンスは、恐怖と暗やみの中で一晩中、ラジオニュースを伝えました。森林作業員は妻の生存を知り、キャンプ中のボーイスカウトの少年たちの無事が知らされました。行方不明の我が子の発見を聞いた夫婦もいました。ラジオは廃墟の中で良い知らせを伝えました。

愛の力

1人はドイツ人、もう1人はデンマーク人。80代の2人は、それぞれ60年間の結婚生活の後に配偶者と死別しました。自宅は15分しか離れていないのに、その間に国境があります。ふたりは恋に落ち、家で食事を共にしたりしていましたが、コロナ禍で国境が封鎖されました。それでも毎日、午後3時に静かな田舎道の国境で待ち合わせ、各々の国の側に座ってピクニックをしました。彼らの愛は、国境や感染症より強かったのです。