勇士のように歩む
エマは18歳。イエスを信じる喜びについてソーシャルメディアで 堂々と語ります。しかし、彼女の容姿を云々したり、イエスを信じているのは知性が欠けるからと言われたりなど、悪意ある中傷も多々あります。彼女は心無い言葉に深く傷つきますが、それでも大胆な信仰で福音を伝え、イエスに対する愛と隣人に対する愛を語ります。しかし時々、批判する人の言葉で自分を評価しそうになります。そんな迷いがわき起こるとき、彼女は神にすがり、迫害する者のために祈り、みことばを黙想し、聖霊によって力づけられて自信を取り戻し、前進します。
名前を書き込む
児童文学作家グレニス・ネリストは著書「神からのラブレター」で、神と深く個人的につながることを促しています。聖書の話の後に、「神さまからのメッセージ」という欄があり、その一番最初に子どもの名前を宛名として書き込める余白があります。聖書が単なる物語ではないことを子どもたちにわかってもらうためです。神が聖書を通して語り、友だちになりたいと思われること、自分は神に愛されていると、子どもたちは学びます。
何をするにも
著書「喜びのおとずれ」の中で、C.S.ルイスは、イエスを認めたくなくてもがいたけれど、33歳で入信したと告白しています。しかし、彼の反抗心、欠点、困難にもかかわらず、神はルイスを創作力に富んだキリスト信仰の表現者にされました。神の真理と愛を力強く表す彼の作品は、没後55年以上経った今でも、多くの人に親しまれています。ルイスは老いても新たな夢や目標を持てると信じ、その信念を貫いて生きました。
生きる、祈る、愛する
ジェシー・オーエンスは、1936年のベルリンオリンピックの数少ない米国黒人選手のひとりで、憎しみをあおるナチスと指導者ヒトラーの前で、4つの金メダルを獲得しました。彼はまた、両親の強い信仰に影響された勇敢なキリスト者でした。親しくなったドイツのルッツ・ロング選手は、ナチスの世論操作の中で、オーエンスの信仰から来る何げない行為に衝撃を受けたと言います。後に手紙にこう綴っています。「君と最初に話したのはベルリンだったね。君が地面にひざまずいた時、祈っていると分かったよ。…今、僕は、神を信じてもいいかなと思っている。」
賜物を喜び祝おう
重厚な音楽が鳴り響く教会堂のステージ。色覚異常のある画家ランス・ブラウンが、会衆を背に、筆を黒インクに浸して、白いキャンバスに十字架を描きました。そして、筆と手で、キリストの十字架の死と復活を物語っていきました。次に、黒い絵の具で大部分を塗りつぶし、白と青の絵の具で抽象画を仕上げます。全行程は6分弱。最後に、彼が絵を持ち上げて、上下を逆さにすると、慈愛に満ちたイエスの顔が現れました。
その方はどんなお方?
新婚旅行の帰り道、空港で列に並んでいると、少し離れた所にいる男性に気づきました。目配せする私に、夫はちらっと見て「誰?」と言いました。私は興奮して、その俳優の有名な役の名を早口で言うと、彼のところに行って、一緒に写真を撮ってもらえませんかと尋ねました。私は24年経った今も、このことを楽しく人に話します。
砂漠で花を咲かせる
モハーヴェ砂漠は、砂丘や乾燥した渓谷、砂漠の台地や山々が連なります。しかし、アメリカの生物学者エドムンド・イエガーは、数年毎の大雨で、この砂地が野の草花で覆い尽くされることを発見しました。花の絨毯は毎年見られる現象ではありません。ちょうどよいときに大嵐が来て、乾燥した大地がたっぷりと水分を吸収し、太陽の熱で温められると、砂漠が鮮やかな色に染まるのです。
恐れのない愛
私は長い間、自分を守るために「恐れ」を盾にし、それを言い訳に、何かに挑戦したり、夢を追いかけたり、神に従うことを避けていました。何かを失ったり、誰かに嫌われたりする恐れは、神や人と深い関係を築くことを妨げました。それは私を自信のない嫉妬深い妻、心配症で過保護な母親にしました。しかし、神に深く愛されていることを学び続けていくうちに、神とのかかわり方、人とのかかわり方が変わりました。神が面倒を見てくださると信じられると、安心して自分より他人の必要に配慮できるようになりました。
愛は捜し続ける
携帯電話やポケベルが無い時代、私は19歳で実家から千キロ以上離れた土地に引っ越しました。毎朝、母に電話する約束でしたが、ある時、それを忘れて出かけました。その夜、ふたりの警察官が家に来ました。それまで電話を忘れたことが無かったので、母が心配したのです。何度電話しても話し中だったので、警察に様子を見て来て欲しいと頼んだそうです。警察官は「愛情深く捜し続けてくださるお母さんで幸せですね」と言いました。