Category  |  老い/老齢

誕生日のお祝い

誕生日が楽しかった頃がありました。今でも5歳の誕生日のことを覚えています。友だちが誕生会に来るのを、わくわくしながら玄関の外で待っていました。風船やケーキ、プレゼントが嬉しかったのではありません。もう4歳ではなく、大きくなったことが嬉しかったのです。

理解してくださるお方

友人の夫は重度の認知症で、施設に入所することになりました。自分の世話を担当する看護師に初めて会ったとき、彼は彼女の腕を引っ張って、「ここにいる私の親友を紹介します」と言いました。しかし誰もいなかったので、看護師は彼が妄想しているのだと思いました。ところが、彼が話している親友とはイエスのことだと分かったのです。彼女は深く感動しましたが、急いで別の患者の介護に向かわなければなりません。再び彼のところに戻った時には、彼の意識はすでにもやがかかっていました。

旅の道連れ

最近、大学院時代の同窓生の消息を調べてみると、多くの人が亡くなっているのが分かりました。改めて人生の短さを思い、気持ちを引き締めました。大抵の人は70歳か80歳ぐらいまで生きて、世を去ります(詩90:10)。私たちは旅人であり寄留者だとイスラエルの詩人は語っていますが(詩39:12)、まさにその通りです。

人生で最良の時

人生は、まるで移り変わる季節のようです。私たちは、自分が望むか否かに関係なく、次の季節へと押し出されます。そして、次の季節に何が待ち受けているのだろうかと不安になったり、恐れることさえあります。

特に老年になると、そうではないでしょうか。自分は一人っきりになるのだろうか。元気でいられるだろうか。お金に困ることはないだろうか。認知症にならないだろうか等々。私たちは、人生の節目節目で選択しなくてはなりません。悪いことばかり考えて時間を無駄にするのか、それとも、「機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです」(エペ5:16)というパウロの励ましに応答して生きるかです。

どんな季節であっても、神の誠実は変わりません。神は、「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」と言われます(ヘブ13:5)。ですから、私たちは、「主は私の助け手です。私は恐れません」と大胆に言うことができます(ヘブ13:6)。

あなたには神の臨在と神の備えがあるので、人生のどんな場面でも、イエスに忠実に従い、イエスのみことばと祈りの中に身を置き、かつてないほど自由に愛したり赦したりして、喜びと寛容をもって人に仕えることができます。こうして、あなたは機会を十分に生かすのです。

神は、今という季節をもって私たちを祝福しておられます。さあ、これを最大限に生かしましょう。

古き良き時代

私たちは時々、「古き良き時代」を懐かしく思い出します。しかし中には、過ぎた日の思い出は辛い記憶でしかないという人もいるでしょう。眠れぬ夜の闇の中、過去の失敗や失望、叶わなかった夢などがよみがえってきて、人生が自分にひどい仕打ちをしたのだと思い出してしまいます。

過去を思い出すときは、ダビデに倣ってみませんか。神の良くしてくださったことに思いを巡らし、じっくり考えるのがよいでしょう。ダビデは、「あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています」と述べています(詩篇143:5)。神の慈しみを思い出そうとするなら、ずっと以前から主の恵みを受けてきたことに気付きます。このような記憶は最良のものを育てます。さらに深く神を求めたり、今以上に神に取り扱っていただきたいと真摯に求める気持ちを呼び起こします。このようにして過去を思い出すなら、それは神を良く知り、神と深く交わる機会となるのです。

ある老婦人が、ロッキングチェアに座って両手を膝の上で組み、何時間も遠くを見つめていたそうです。ある日娘が尋ねました。「お母さん、静かに座って何を考えているの?」すると、彼女は目をきらりと輝かせて、静かに答えました。「それはね、イエスさまと私との秘密よ。」

私たちの思い出や黙想が、私たちを主のみもとに引き寄せてくれますように。私はそう祈ります。

主の家に植えられる

1年で聖書を!
◆ 伝道者の書10-12
聖書のみことば 詩篇92
 
彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。―詩篇92:14

作家のドン・ゴールドは、老いを生きる多くの人々にインタビューをして「歌の終わるまで:アメリカにおける老いと人生の賛歌」という本を出版しました。

みずみずしく栄える

1年で聖書を!
◆ 申命記26-28
聖書のみことば 詩篇92
 
[彼らは]みずみずしく、おい茂っていましょう。―詩篇92:14

詩篇92篇は「主に感謝するのは、良いことです」という賛美から始まっています。しかし、誰にとって良いのでしょう。それは、私たちにとってです。私たちのたましいにすごく良いのです。心配ごとから心を自由にして、毎日を祈りと賛美で満たしてくれます。毎朝、感謝のことばで挨拶するのは素晴らしく、そのような賛美は心を嬉しくします。