Category  |  人に対する愛

真の宗教

1年で聖書を!
◆ Ⅱ歴代誌10-13
聖書のみことば ヤコブ1:19-27
 
父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。―ヤコブ1:27

最近、若者向けのブランドの広告を目にしました。ブルージーンズとそれにあわせたアクセサリーです。特に目新しいファッションではありませんでしたが、そのブランド名には目を奪われました。何と「トゥルーレリジョン(真の宗教)」です。私は立ち止まって考えました。「どうして、そんな名前をつけたのだろう。何か深い意味があるのだろうか。

おせっかい

1年で聖書を!
◆ Ⅱ列王記4-6
聖書のみことば Ⅰコリント13:4-8
 
神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、―詩篇139:23-24

いらぬおせっかいということがあるでしょうか。迷惑な助けがあるでしょうか。もちろんです。もし、押し付けがましかったり、小細工をしたり、イヤと言えないような雰囲気があったりするなら、相手にとってはむしろ厄介でしょう。相手を助ける動機が、自分が心配だからということであるなら、結局は自分を助けようとしているに過ぎません。

最も偉大なこと

1年で聖書を!
◆ 士師記19-21
聖書のみことば マタイ22:34-40
 
「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」これがたいせつな第一の戒めです。―マタイ22:37-38

スポーツをして一番良いことは何でしょう。優勝、記録を打ち立てること、あるいは名誉を得ることでしょうか。大学バスケットボールの殿堂といわれるペンシルベニア大学のバスケットボール競技場「パレストラ」には、それにかかわる飾り版があります。

犬のディンゴ

1年で聖書を!
◆ ヨシュア記22-24
聖書のみことば ピリピ2:1-4
 
自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。―ピリピ2:4

ハリー・タッパーは、ここアイダホでは「伝説の釣り師」として知られています。州東部のヘンリー湖にある「タッパー・ホール」という釣りポイントは、彼に因んで名づけられました。

人生にふれる

1年で聖書を!
◆ ヨブ記32-33
◆ 使徒14
聖書のみことば ガラテヤ6:6-10
 
善を行うのに飽いてはいけません。―ガラテヤ6:9

ダンは高校の卒業式で、15分間のスピーチをすることになりました。卒業までの道のりについて語り、お世話になった人たちに謝辞を述べる内容でした。

本当の栄冠

1年で聖書を!
◆ Ⅰ歴代誌25-27
◆ ヨハネ9:1-23
聖書のみことば エペソ5:22-33

 
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。―エペソ5:25

妻のマーティは子どもたちに、驚くほど大きな影響を与えました。母親ほど、自己犠牲的で無条件な忍耐と献身が求められる役目はありません。私の信仰や人格が、母によって形成されたこともまた、確かだと言えます。「妻」や「母」の存在がなかったら、私たちはいったいどうなっていたことでしょう。

立て看板

1年で聖書を!
◆ Ⅰ歴代誌16-18
◆ ヨハネ7:28-53
聖書のみことば ヨハネ1:14-18

 
あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。―Ⅰテサロニケ3:12

アイダホ州ボイシからそう遠くない山間部の小さな村で、牧師をしている友人がいます。この村は緑豊かな渓谷沿いにあって、美しい小川がくねくねと流れています。その小川は、教会の敷地のすぐ裏にも来ています。教会と小川の間には、柳の並木と芝生道があり、その向こうは砂の岸辺です。そこは牧歌的な風情をたたえた場所で、村人たちは長い間、ここでピクニックを楽しんできました。

強烈な発言

1年で聖書を!
◆ Ⅱ列王記22-23
◆ ヨハネ4:31-54
聖書のみことば Ⅰヨハネ3:10-18

 
義を行わない者はだれも、神から出た者ではありません。
―Ⅰヨハネ3:10

クリスチャンを嫌う人たちの言い分が、「クリスチャンらしくない(UnChristian)」という本の中に列挙されています。彼らの主な不満は、一部のクリスチャンたちのそうでない人たちに対する態度です。この本の著者が調査した人たちは、クリスチャンは自分たちとは違う人たちに対しては偽善的、批判的、そして、態度が横柄で不親切だと見ていました。

生きるためのふたつのルール

1年で聖書を!
◆ Ⅰ列王記12-13
◆ ルカ22:1-20
聖書のみことばマタイ22:34-40

 
律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。―マタイ22:40

いくつもの規則や「〇〇であるべき」という暗黙の掟で、がんじがらめだと感じたことはありませんか。昔のユダヤ人たちは、旧約聖書の600以上の掟と、当時の宗教指導者たちが課したさらなる規定を守らなければなりませんでした。人々の心情は察するに余りあります。このような状況の中でイエスは、義を追い求めているならば、「あなたの神である主を愛せよ」(マタ22:37)と「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」(39節)というふたつの戒めを守ればよい、と言われました。人々は驚愕したに違いありません。