イエスの目
子どもたちとアイスクリーム店で並んでいたとき、顔に傷のあるこわ面の人に気づきました。服は汚れてはいませんが、しわくちゃです。私は、その人と子どもたちの間に壁を作るように立ちました。話しかけられたときも、よく聞き取らず、目を合わせることもなく、少しうなずいただけでした。ところが、妻が一緒ではなかったので、その人は私たちを父子家庭だと思ったようです。「ひとりで子育てするのは大変だね」と言いました。私はその優しい口調に、思わず彼を見つめました。すると、彼も子ども連れなのに気づきました。そして、彼が妻を亡くしてどれほどになるかなどという話を聞きました。優しい話ぶりは、こわそうな外見とは対照的でした。
まさにガツンとやられました。また外見で判断してしまいました。イエスは、人を寄せつけないような外見の人と出会われました。今日の聖書のみことば(マコ5:1-20)の悪霊につかれた男性もそのひとりです。ところが、イエスはこの人を避けるどころか、彼の必要を満たされました。
私たちには罪の傷跡や、しわくちゃの品性(誠実になろうとしても、途中でつっかえてしまうので)があります。にもかかわらず、イエスは常に愛の目を注いでくださいます。私たちも心の中で人を見下したりせず、イエスの愛で人を愛すことができるように、主に助けていただきましょう。
ますます
今日、不況が続く世の中でこだまする声は「縮小、縮小」です。政府は財政を切り詰めるよう求められ、人々はエネルギーの消費を控えて、限られた資源を大切にするよう促されます。それは誰もが傾聴すべき良いアドバイスです。しかし、信仰の世界においては、愛と恵みと力は不足することはありません。ですから、クリスチャンである私たちは神の愛をますます行動で示すよう促されています。
愛が届く
ずいぶん前のことですが、こんな漫画がありました。仏頂面の老人が、しわくちゃのパジャマを着て玄関に立っています。彼は夜の戸締りをしたところでした。カギが4つ、南京錠2つ、それにドアチェーンという用心深さです。そのとき老人は、小さな白い封筒がドアの下にはさまっているのに気づきました。封筒には大きなハート型のシールが貼ってありました。バレンタインです。愛が彼の元に届いたのです。
正義と公平だけでなく
イギリスの労働者は19世紀、劣悪な環境のもとで働きました。大人だけでなく子どもまでが、昼は危険な工場で働き、夜は汚い貧困街の自宅へ帰っていきました。多くの工場主は、労働者の福利厚生に無関心でした。