人生の浮き沈み
◆ 伝道者の書1-3
◆ Ⅱコリント11:16-33
人生は山あり谷ありだ、と言うなら、たいていの人は同意するでしょう。賢い王であったソロモンも、そのとおりだと信じていました。そして、移り変わる状況をどう受け止めるべきか、思いを巡らしました。彼は伝道者の書に「何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。…泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある」と記しています(3:1-4)。ソロモンの父であるダビデは「神の心にかなう人」(Ⅰサム13:14、使13:22)と言われていました。それにもかかわらず、彼の人生は、何と浮き沈みの多かったことでしょう。彼は、バテ・シェバとの間に生まれた初めての子どもを病気で失い嘆きました(Ⅱサム12:22)。しかし、賛美と喜び、そして笑いに満ちた都上りの歌も書いています(詩126:1-3)。反乱を起こした息子のアブシャロムが死んだときには、深い悲しみを体験しました(Ⅱサム18:33)。一方で、神の箱がエルサレムに運び込まれると聖霊に触れられて大喜びし、主の前で力いっぱい踊りました(Ⅱサム6:12-15)。
神をのぞいて希望なし
◆ ヨブ記14-16
◆ 使徒9:22-43
スコットランドの将校、アーネスト・ゴードンは、第二次世界大戦中にタイ・ビルマ国境にあるクワイ河収容所にいたときの体験を著書に書いています。彼はマラリア、ジフテリア、チフス、脚気、赤痢、熱帯性潰瘍などに次々と侵されました。また、厳しい労働と食料不足のために、身長が2メートル近くある堂々とした体型でしたが、あっという間に体重が45キロ以下になってしまいました。
神は神である
◆ Ⅱ歴代誌28-29
◆ ヨハネ17
スミルナの教会の司教ポリカルポス(紀元69年~155年)は、釈放されたいならキリストを冒涜せよ、とローマ帝国の役人に言われて、こう答えました。「私は86年間、神に仕えてきましたが、神は全く悪いようにされませんでした。お救いくださった我が王を冒涜することが、どうしてできましょうか。」役人は「考えを変えなければ、火あぶりだぞ」と言って脅迫しましたが、ポリカルポスはひるみませんでした。ポリカルポスは、キリストを冒涜しなかったので、火刑に処せられました。
星の力
◆ Ⅰ列王記6-7
◆ ルカ20:27-47
あなたは天の法令を知っているか。地にその法則を立てることができるか。―ヨブ記38:33
ヨブのように人生の悲劇を体験し、大胆にも神に疑問を投げかけたことは、誰にでもあるでしょう。そんな私たちにとって、ヨブ記の38章は色々と考えさせられます。嵐の中から「知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ」(1-3節)という神の御声を聴いたとき、ヨブはどのように感じたでしょう。ドキッとして、息を呑んだことでしょう。自分を蟻のように小さく感じたに違いありません。