正義とあわれみ
被告人は裁判長の前に立ち、自分の運命をゆだねます。罪を犯していないなら、裁判所は避け所になります。罪を犯しているなら、処罰が言い渡されます。
猫の門
私たち夫婦に新しい家族ができました。生後2ヶ月のトラネコで、名前をジャスパーといいます。この子猫が安全に暮らせるように、私たちは、ドアを開け放しておくというような習慣を変えなければなりませんでした。ところが、問題は階段でした。猫は登るのが好きです。子猫でさえ、上から見る景色のほうが良いことを知っていますから、1階にいるときは、何とかして2階に行こうとします。ジャスパーを私のそばという安全な場所に留めておくのはひと苦労です。柵は赤ん坊や犬には有効ですが、猫には何の役にも立ちません。
止められない
上が駄目なら下から、それも駄目なら、脇にまわるか、または中央を突っ切るか…止めようとしても無駄ですよ。自分が得するチャンスに出会うと、このような態度で、何とかしてそれを物にしようとする人をしばしば見かけます。そして、目的を果たすためにあらゆるものをつぎ込みます。けれども、その考えは間違っているかもしれません。実際、バラムという男のロバがその証です。
バラムは隣国の王からもうけの多い仕事を頼まれたので、引き受けてもよいだろうかと神に尋ねました(民22)。しかし、神は良しとは言われませんでした。すると隣国の使者は、さらに高い報酬を提示して、彼を誘いました。バラムは、神が考えを変えてくださるかもしれないと期待して、再度、神に尋ねました。すると神は行っても良いと言われましたが、それには厳しい条件が付けられていました。神はバラムの本心をご存知で、それを快く思っておられませんでした。そういうわけで、神は主の使いを送られ、バラムの行く手を阻まれたのです。バラムには主の使いが見えませんでしたが、バラムを乗せていたロバには見えたので、進みません。バラムは前進しようとしないロバに腹を立て、ひどく叱りつけました。
バラムの物語は、全ての障壁は乗り越えるためにあるのではないことを教えてくれます。中には、私たちが愚かなことをしないように、神が準備してくださった障壁もあります。計画が狂ったとき、それがサタンの仕業と決めつけないようにしましょう。神が私たちを守ってくださっているのかもしれません。