疎外感を抱える羊飼い

「羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。」(ルカ2:8)

うつの渦の中にいた頃、 私は強い疎外感を抱いていました。みんなは幸せそうだけれど、私は違う。みんなは楽しそうだけれど、私は苦しいだけ。人前では何とか自分を保っていましたが、明るい自分を演じれば演じるほど、心に惨めさが募っていく、そんな状況でした。もちろん、神がみんなを愛しておられることは知っていました。ただ、自分はその「みんな」に入っていないような気分でした。もがいてもあがいても振り払えない悲しみと孤独が、私にまとわり付いていました。

新約聖書時代のユダヤ人社会では、羊飼いは軽蔑されていました。皇帝の言う「全世界」に含まれず「住民」として数えられませんでした。宗教的にも疎外され、差別されていました。「全世界の住民登録」の勅令に従って先祖の町に帰郷していく人々を傍目に、いつも通り仕事をする羊飼いたちは胸中何を感じていたでしょうか。ところが、神はその彼らを心に留めておられました。見捨ても忘れもせず、それどころか、救い主の生誕に関わらせてくださったのです。そして彼らの喜びの証言が、聖書に収められました。

私の代わりに疎外されたイエス

あなたは今、大切なもの、大切なことから切り離されてしまったと感じていますか。もしそうなら、思い出してください。神は、あなたの憂いに目を留めて、救い主という大きな贈り物を与えてくださいました。イエスは降誕され、30年余りの悲しみの人生を過ごされた後、十字架上で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。神の御子が人となり、あなたや私の代わりに疎外されました。そして、キリストを信じる私たちを、御国の完成という壮大なドラマに関わらせてくださったのです。

考えよう

どんなときに最も疎外感を感じますか。そのときどのように反応しますか。

祈ろう

イエス様、私の代わりに疎外を引き受けてくださった事を信じます。今度はあなたと共に、御国の完成のために歩み出させてください。

疎外感を抱える羊飼い
苦渋の決断を下すヨセフ
罪悪感にさいなまれる不倫女性
仲間を必要としたマリア
ためらいを感じる宿屋
ありのままのクリスマス