罪悪感にさいなまれる不倫女性

「女とともに、イエスだけが残された」(ヨハネ8:9)

ある女性が不倫現場で捕らえられ、イエスの元に連れてこられました。告発者たちが「律法によれば石打ちで処刑しなければなりませんが」と迫ったとき、イエスは一言「罪がない者から石を投げよ」と語りました。それを聞いた告発者たちは一人、また一人と去って行きました。

告発者や野次馬たちが立ち去りイエスと彼女だけになるまでに、どれほどの時間がかかったのかはわかりません。その間彼女は、石や罵声がいつ飛んでくるかという恐れ、不倫現場を目撃されてしまった恥、何より「罪を犯してしまった」という罪悪感から、座り込んだまま動けなかったでしょう。顔を上げることもできなかったのではないかと思います。一方、イエスは恥と罪悪感に苦しむ彼女を直視することもせず、「身をかがめて、地面に何かを書き」ながら、まさに適当な距離感で寄りそっておられました。そして彼女の心が開くのを待って「わたしもあなたにさばきを下さない。行きなさい。もう決して罪を犯してはならない」とみことばをかけられました。

あなたの隣に座り込んで待つイエス

クリスマスに私たちと同じ人間としてお生まれになったイエス・キリストは、傷んだ葦(あし)を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともないお方です(イザヤ42:3)。罪を見過ごすことはなさいません。しかしそうせざるを得なかった弱さに共感してくださいます。私たちが罪悪感や悲しみで打ちひしがれ座り込んでしまうとき、イエスの方から私たちの苦しみのただ中に降りて来てくださいます。そして私たちがみことばを聴いて立ち上がれるまで、隣に座っていてくださいます。それがどれほど長い時間であろうとも。

その名はインマヌエルと呼ばれる。訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイ1:23)

考えよう

拭い去れない罪悪感や失敗を抱えていませんか。またそのような人とどんな距離感で接していますか。

祈ろう

罪を犯してしまい痛みに打ちひしがれるとき、あなたが待っていてくださることを思い出させてください。また、心痛める友にあなたのように寄りそう者と変えてください。

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