ためらいを感じる宿屋

「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(ルカ2:7)

コロナ禍で里帰り出産ができず、近親者のサポートなしで子どもを産まなければならない女性が増えているというニュースがありました。地域のサポートが求められています。

臨月のマリアは夫ヨセフの本籍地ベツレヘムに旅立ちました。その地で出産の日を迎え、本来なら受けられるはずだった家族のサポートがありませんでした。この夫婦に家畜小屋を提供した人物が誰なのかはわかりませんが、出産間近の妊婦の抜き差しならぬ状況を目前に、もっと適切な場所を提供したかったことでしょう。私はきっとそうだったと思います。しかし「場所がなかった」のです。

あ、家畜小屋がある。人目は無く、雨露はしのげる。この夫婦を追い出すことはできない。ああ、でも、あんな所で出産なんて……。宿の主人の心中は複雑だったことでしょう。しかし、悩みつつ決断した彼の善意が、救い主の誕生を可能にしたのです。

神は私たちの精一杯を用いてくださる

私たちも神のために、隣人のために、一番良いもの、そしてベストな自分をささげたいと願います。けれども、病気や弱さ、過去の傷のために、満足な奉仕がささげられないことがあります。意欲はあっても状況が整わず、十分に動けないことがあります。いや、そんなときばかりかもしれません。自分の差し出すものがあまりにも粗末で貧相なので、ささげること自体をちゅうちょして、伸ばした手を引っ込めたくなります。そして、そんな自分を情けなく、恥ずかしく思います。

しかし、家畜小屋で誕生されたイエスは、その葛藤を知っておられます。そして、みすぼらしくても、世間の考える最善からはほど遠かったとしても、私たちのささげる「最善」を受け取ってくださり、みこころを成すために思いもよらぬ形で用いてくださいます。名も残らぬ人が、ためらいつつも提供した家畜小屋で、世界の希望が生まれたのですから。

考えよう

あなたが神のために、隣人のためにささげたいけれども、ちゅうちょして、引っ込めてしまっていることは何ですか。

祈ろう

今まで、私のできることは十分ではないからとちゅうちょしていましたが、神と人とを愛するために     (あなたの言葉を入れてください)をささげます。あなたがそれを受け取り、みこころのために用いてくださると信じさせてください。

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