弁証論

議論は不要

マンスリートピック
知識 | 2023年5月のトピック

神の存在をリジュンに信じてもらおうと、私は一年かけて説得を試みました。美しい大自然や宇宙には設計者がいるはずだ、道徳心があるのは誰かが与えたからに違いない、と力説しました。しかし、彼女の考えはいっこうに変わりません。ある日、ローマ人への手紙1章が目に留まりました。誰もが神の「永遠の力と神性」を知っていて、それを否定する人には「弁解の余地はありません」(20節)。後日、リジュンが神の存在の話題に触れたとき、このみことばを思い出しました。

「ウィトマー教授は、なぜ神を信じるのですか」とリジュン。

私はその質問をそのまま返しました。「リジュン、君はなぜ神を信じるのですか」。

「ああ!」と彼女は声を上げました。その瞬間、心の底では神を信じていたのだと悟ったようです。それから数カ月後、リジュンはイエスを信じる決心をしました。

もちろん、誰もがこんなふうに応答するわけではありません。聖霊の助けによって、真理をありのまま捉え、イエスに心を開けるように導いていただきます(ヨハネ16:7-11)。とはいえ、力ある正義の神が存在することを、人は直感的に知っています(ローマ1:20、32)。

直感的に知っているのですから、議論は不要です。すでに知っている事柄を証明する必要はありません。これでずいぶん肩の力が抜けます。リラックスして、相手が何を信じているのか尋ね、じっくりと話ができるでしょう。話し相手は、その会話がきっかけでいろいろと考え始め、いつの日かキリストを救い主として受け入れるかもしれません。人は神の存在を知っているのだと覚えていれば、説得する必要がないと分かります。そうすれば、相手を尊重してきちんと接することができるでしょう。

デイリー・ブレッド寄稿者Mike Wittmer

イエスを信じる信仰が理に適う現実的なものかどうか検討するとき、人は難しい疑問や質問をあれこれ考えます。今月は、聖書に基づいて自分の信仰を説明する「弁証」に注目しました。
【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】
1日 信仰の種
8日 真実を求める人々
15日 星を調べる
22日 物語を伝えなさい