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歩く広告塔

ピート・ピーターソンが初めてベトナムを訪れたのは、ベトナム戦争のときです。1966年、彼の爆撃機は奇襲攻撃の最中に撃ち落とされ、捕虜となりました。それから30年以上が経ちました。ピーターソンはアメリカ大使として、ベトナムに戻ったのです。ある新聞は彼を「歩く和解の広告塔」と評しました。彼は何年も前に、神によって命を救われたのは、怒りに捕らわれて生きるためではない、と気づいていました。このように考えていたので、残りの人生と自分に与えられた地位を用いてベトナムに貢献しようと、児童安全基準の向上に尽力しました。

悪かった

義理の息子とスポーツ観戦に行ったとき、試合だけではなく人間ウォッチングもすることになりました。人間の良い面と悪い面の両方を見せてくれた人がいたからです。その人はスタジアムで迷子になって、自分の席に帰れなくなっていました。それで立って辺りを見回していたのですが、それが私たちの視界をさえぎるような場所でした。座っていた人は試合が見えないので、「どいてくれないか。見えないじゃないか」と言いました。するとその迷子の男性は、「そりゃ気の毒だな」と皮肉たっぷりに答えたのです。そして、もう一度言われると、今度は怒気を含んだ声で同じ言葉を繰り返しました。しばらくすると、その男性はようやくあっちに行きましたが、驚いたことにすぐに戻ってきて、見えないと文句を言った男性に、「さっきは悪かったな。実は席が見つからなくてイライラしていたんだ」と言ったのです。ふたりは握手をして、この件は友好的に片付きました。

彼らのやり取りを見て、私は考えさせられました。日々の生活の中で、自分の思うとおりにならなくてイライラし、キリスト者として恥ずかしい言動をしたことがあるかもしれません。もしそうならば、私たちは失礼をした相手に謝る勇気をくださいと、神に願わなければなりません。イエスによると、そうするか否かで、私たちの礼拝が受け入れられるかどうかが決まるのです(マタ5:23-24)。

和解を優先事項にしているなら、私たちは、神に栄誉を帰しています。天の父との交わりを十分に楽しむことができるのは、和解した後のことです。

壁を壊す

1年で聖書を!
◆ イザヤ書52-54
聖書のみことば エペソ2:14-18
 
信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、……信仰によって導き入れられた……―ローマ5:1-2

東ドイツに50数年前に住んでいた人たちにとって、「壁」という言葉は、どこにでもある普通の壁を意味するのではなく、1961年8月13日に建設が始まった東西ドイツを分断する壁のことでした。やがてその「壁」は有刺鉄線と武装した警備員たちによって守られ、向こう側に行くことはほとんど不可能になりました。

自滅を招く憎悪

1年で聖書を!
◆ Ⅱ歴代誌17-19
聖書のみことば エステル記7:1-10
 
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、―ローマ12:17

ジョージ・ワシントン・カーバー(1864年~1943年)は、すさまじい人種差別を克服し、アメリカ合衆国の高名な教育者としての立場を確立しました。カーバーは、自分にひどい仕打ちをした人たちを憎むという誘惑をはねのけました。そして、「心に巣食う憎しみは、最終的にその人自身を滅ぼしてしまう」という賢明な言葉を残しています。