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逆さま

イエスには、「不思議だなあ」と思わされることがいくつもあります。イエスの働きに驚かされたり、当惑させられたりします。それは、イエスの人生に対する教えが、世の常識とは真逆の場合があるからです。

人生の旅が長くなると、大体のことは分かっていると思うようになります。そして、人生の舵取りや物事に対する応答がパターン化してしまいがちです。しかし、イエスは私たちの平凡な日常生活に介入され、新しくてより良い道に導こうと声をかけてくださいます。でも、ご注意ください。「イエスならばこうなさる」という方法は、私たちに大きなチャレンジを与えます。

いのちを得るために死ぬ(マコ8:35)、得るには与えよ(マタ19:21)、悲しむ人は幸いだ(5:4)、治めるには仕えよ(ルカ22:26)、苦しみには目的がある(5:10-11)という逆説的なことばについて考えてください。キリストはおかしい、ずれている、と思われるのは、こうした発言があるからです。しかし、ずれているのは、実は私たちです。キリストが逆さまなのではなく、私たちがそうなのです。私たちは、何がベストかは親より自分のほうが分かっている、と思っている子どもに似ています。

神が私たちに「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ」と言われました(イザ55:8)。ですから、私たちの直感は頼りになりません。神の方法に倣えるよう助けてください、と祈りましょう。

「誰」と「どのように」

1年で聖書を!
◆ 民数記28-30
◆ マルコ8:22-38
聖書のみことば マルコ8:27-33

 
あなたは、キリストです。―マルコ8:29

福音書を読むたびに、自分とイエスの弟子たちは似ているなぁと思います。彼らは私と同じように鈍感で、イエスに「まだわからないのか」や「そんなに鈍いのか」と言われ続けなくてはなりませんでした(マルコ7:18参照)。けれども、やっとペテロが分かりました(一部だけですが…)。イエスが「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」とお尋ねになると、ペテロは「あなたは、キリストです」と答えたのです(8:29)。