Tag  |  益

豊かに潤された人生

モンタナ州の平原で、農園を営んでいる友人がいます。彼の家に行くには、殺風景な不毛の荒野の真ん中にくねくねとつづく長い小道を通ります。しかし、家に向かって車を走らせていくと、あたりの風景が一変していきます。木々や草花が青々と生い茂る細長いエリアが、農場の中を蛇行しています。北アメリカ屈指のマス釣りの名所である有名な川が農場の敷地内を横切っていて、その川べりでは、どんな草木もゆたかに育ちます。そこで育つものには、絶えることのない命の水があります。あたりの植物はすべて、この水源の恩恵を受けています。

野心は悪いもの?

野心は悪でしょうか。一番を目指して必死になってはいけませんか。そんなことはありません。問題は、何のために一番になりたいのかという動機です。

使徒パウロは、クリスチャンは「神を喜ばせる」ように生きなさい、とテサロニケ人への手紙第一4章1節で語りました。神を喜ばせたいという情熱に火がついたのは、救われた瞬間だったという人がいます。一方で、自分ではなく神を喜ばせたいという変化は徐々に起こったという人もいます。しかしどちらにせよ、クリスチャンは、神の目指すところを追い求めなくてはなりません。

というわけで、職場では「この仕事によって、私はどのように人に仕え、神に栄光を帰すことができるのだろう」と追求しつつ働きましょう。神の栄光を求めるなら、焦点は自分の外にあります。神を見つめ、他の人たちに目を向け、神が自分にどのような能力を与えてくださったのか、それをどのように用いるべきなのかを問い続けながら進みましょう。

パウロは、「主を恐れかしこみつつ、真心から」働きなさいと勧めます(コロ3:22)。会議室でも工事現場でも、どこで何をしていても、いつも神に対してするように行動しましょう(23-24節)。

自分の快楽でなく神の喜びのために、卓越を目指して熱い心で働くとき、私たちは最も神に栄光を帰しています。また自らも、最も神を楽しんでいます。自分の利を求めるのではなく、神と人の益を求めましょう。なぜなら、神は全てをささげるに値するからです。