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頭からこころへ

子どもの頃のピアノの先生は、暗譜にこだわる人でした。一曲を間違わないで弾くというだけでは十分でなく、何曲かを連続して弾いて、どれも完璧でなくてはいけませんでした。その理由は、ピアノを弾いて欲しいと人に言われたときに「ごめんなさい、楽譜がないから弾けません」と言わなくても良いように、ということでした。

子どもの頃、聖句の暗記もしました。詩篇119篇11節も覚えました。私は幼かったので、聖書を暗記すれば罪を犯さないのだと信じ、一生懸命暗記しました。暗唱聖句で表彰され「ムーディ・バイブル・ストーリー」の本をもらったこともありました。

聖書を暗唱することは良い習慣ですが、覚えるだけで罪を犯さなくなるわけではありません。私も表彰されてまもなく、聖書のみことばを頭に叩き込んだけれども、私の態度や行動にはあまり反映されていないと気づきました。知識があるというだけでは罪に打ち勝てるはずもなく、むしろ罪悪感ばかりが募りました。

やがて、私は主のみことばを全人的に理解すべきだと気づきました。つまり、音楽家が演奏曲を自分のものにするように、私もみことばを自分のものとし、心にたくわえるのです。私たちは聖書のみことばを引用するのと同じぐらい、聖書のみことばを行わなければなりません。みことばが私たちにとって、単なる頭の知識から心の宝へと変化するにつれ、罪の影響力は失われていきます。

教えられやすい心

1年で聖書を!
◆ 詩篇132-134
◆ Ⅰコリント11:17-34
聖書のみことば 箴言2:1-9
 
自分を知恵のある者と思うな。―箴言3:7

礼拝が始まる直前に、後ろの席にいた少年と母親の会話が聞こえてきました。7月と8月のふた月は箴言を毎日1章ずつ読みましょうと週報に書かれていたのですが、少年は「8月は30日しかないのに31章はどうするの」と尋ねていたのです。母親は「8月は31日まであったはずですよ」と答えると、少年は「いいや。30日しかない」と言いました。