奮闘する人への言葉
噛みこなせないほどほおばってはいけない、という古い英語の格言があります。自分の実力以上の仕事を引き受けてはならないという意味です。それは賢明ではないからです。とはいえ、引き受けた仕事の大きさや難しさに圧倒されてしまうこともあります。
無限の愛
子どもの頃、新聖歌31番がよく歌われていました。「大空紙とし、海原墨とし、木の枝筆とし、世人を集めて、主の愛記さば、紙も足らじ。」
確かな救い
イギリスを19世紀に治めたビクトリア女王が、あるとき、主日礼拝で大きく心を揺さぶられたそうです。礼拝の後、女王は司祭に、「この世の人生で永遠の確証を得ることはできますか」と尋ねました。ところが司祭は、答えることができません。一方、ジョン・タウンゼントという名の伝道者は、女王の質問を耳にし、よく祈った後、手紙を書きました。「恐れ多いことではございますが、この知らせを震える手で書いています。イエスが天に備えられた家で永遠に生きることの確証を今、得ることはできると存じます。女王陛下、どうかヨハネの福音書3章16節とローマ人への手紙10章9~10節をお読みいただきますよう、お願い申し上げます。」
2週間後、タウンゼントは手紙を受け取りました。そこには「記されていた聖書のみことばを、注意深く、祈り心で読みました。私は、キリストが私のために完成された御わざを信じます。そして、『わたしが行って、あなたがたに場所を備える』と仰せになったその家で、神の御恵みによって、あなたにお会いできると確信します。-ビクトリア」と書かれていました。
タウンゼントは、永遠のいのちの確証をこの世の人生の中で得ることができると確信していました(9節)。また、自分以外の人たちのことも心配していました。あなたの永遠の終着点について、ヨハネ3章16節とローマ10章9~10節は、どのような意味を持つでしょう。それについて、ぜひ考えてください。神は、自分の罪は赦されたという確信をあなたにあげたいと願っておられます。この世の生命が終わったなら、神と永遠に過ごすことができるのだという確信を、あなたに与えたいと願っておられるのです。
(Brent Hackett、RBCミニストリーズ カナダ ディレクター)
さらに悪い方へ
◆ 雅歌4-5
◆ ガラテヤ3
この前もそうでした。書斎を片付けようと急に思い立って、私は動き出しました。すぐに思い直せばよかったのですが、そうしなかったので、部屋は以前にも増してひどいことになりました。本や新聞、そして雑誌の選別をしていくうちに、ひとつの山がいくつもの山になっていきます。部屋がどんどん散らかっていくにつれ、私は片づけを始めたことを後悔しました。けれども、今さら、後戻りはできません。
神をのぞいて希望なし
◆ ヨブ記14-16
◆ 使徒9:22-43
スコットランドの将校、アーネスト・ゴードンは、第二次世界大戦中にタイ・ビルマ国境にあるクワイ河収容所にいたときの体験を著書に書いています。彼はマラリア、ジフテリア、チフス、脚気、赤痢、熱帯性潰瘍などに次々と侵されました。また、厳しい労働と食料不足のために、身長が2メートル近くある堂々とした体型でしたが、あっという間に体重が45キロ以下になってしまいました。