荒れ地が美しい庭に
春は、物事が常に目に見えているとおりとは限らないことを悟らせてくれます。すっかり枯れ果てて絶望的にさえ見えたところに、生命が芽吹きます。寒々とした裸の森が、緑豊かな景色に生まれ変わります。
冬の間、着物を求めているかのように裸の腕をのばしていた木の枝たちが、突然、緑のドレスをまといます。しぼんで地面に落ちてしまった草花も、「死んでないぞ」と言わんばかりに、土の中からむっくりと起き出してきます。
聖書にも絶望的な状況が描かれています。そのひとつは、ヨブという裕福な人の話です。ヨブは「潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっている」人でした(ヨブ2:3)。その彼を災いが襲い、すべてを奪っていきました。ヨブは苦難の中で「私の日々は…望みなく過ぎ去る」と言いました(7:6)。ヨブも彼の友人も、この災いは神がヨブに罰を当てたのだと考えましたが、それは全くの間違いでした。神は、ヨブの正しさはサタンに攻撃されても揺るがないと信じておられました。後日、神はヨブの生活も希望も回復させられました。
毎年、必ず春がやってくることは、絶望的な状況にいる人にとって慰めです。神がともにいてくだされば、絶望というものはありません。どれほど悪い状況に見えたとしても、神はそれを用いて、美しく栄光に満ちたものを作ってくださいます。
希望を失うことはない
◆ 民数記15-16
◆ マルコ6:1-29
わたしはあなたがたを……労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。―出エジプト記6:6
テネシー・アーニー・フォードが歌った「シックスティーン・トンズ」(マール・トラビス作詞)は、1950年代半ばのアメリカで大流行しました。この曲を聴いた当時の人たちは、状況に縛られていると感じている炭坑夫の嘆きに、自分を重ね合わせていたようです。炭坑夫は、働けど働けど状況を変えられません。彼らは、会社が所有する家に住み、賃金は、会社が経営する店でしか通用しないクーポンで支払われていました。この炭坑夫は、仮に天国に召されたとしても、自分のたましいは会社の店の所有物だから行くことはできない、と言うのです。