駅や空港で動く歩道を使って、「ご注意ください。間もなく終点です。ご注意ください。間もなく終点です」と、録音されたアナウンスが繰り返されるのを聞いたことがあるでしょう。

このアナウンスはなぜ繰り返されるのでしょう。それは、歩行者の安全確保のためであり、もし怪我人が出ても、管理者が責任を負わされないようにするためです。

アナウンスの繰り返しはうるさいものですが、それは無意味ではありません。実際のところ、パウロは繰り返し警告することがきわめて大切だと考えて、ガラテヤ人への手紙の中でそれを実行しています。その内容は、動く歩道でつまずかないことよりはるかに重要です。パウロは、すでに聞いた福音以外の「ほかの福音」を宣べ伝える人がいるなら、それが彼自身であっても、たとえ天の御使いであっても、そんな人の話は聞いても信じてもいけないと警告しました(ガラ1:8)。9 節でも同じことを言っています。これは繰り返すに値する警告でした。なぜなら、ガラテヤの人たちは、自分たちの救いが、キリストが成されたことにかかっているのではなく、自らのよい行いの有無にかかっていると考え始めていたからです。

イエスの福音、すなわち、イエスが死んで葬られたのち、よみがえられたので私たちの罪は赦されたということを信じ、そして伝えていくことが、私たちの特権であり責任でもあります。福音を伝えるときには、よみがえられたキリストだけが罪の問題を解決できる、と語りましょう。