お前はろくでなしだ、家の恥だ、という父の言葉がラビの心に深く突き刺さりました。頭の良い兄弟たちと違って、ダメなやつだと言われてきました。スポーツで秀でようと頑張り、成果を上げましたが、役立たずだという劣等感が消えません。「こんな思いで生きつづけるぐらいなら、人生を終わらせたい」といつも考えていましたが、人に相談したりはしませんでした。自分の心の痛みは自分の内に秘め、自分の崩れ落ちる世界は自分で支えなければならないと考えていたからです。

ひとりで苦しんだ末、ラビは自らの生命を絶とうとしましたが、果たせず病院へ運ばれました。ある日、見舞客が聖書を持って来て、母親がヨハネの福音書14章を読みました。そして、「わたしが生きるので、あなたがたも生きる」(19節)というみことばを聞いたとき、ラビは考えました。人生の作者だと言われるお方が定義した新しい生き方だけが、自分の唯一の希望かもしれない…。そして、「イエス様、もしあなたが、みこころにかなう人生を与えてくださるのならば、私はそれをいただきたいです」と祈りました。

絶望に見舞われるようなことが人生にはあります。しかし、イエスは「道であり、真理であり、いのち」(6節)ですから、ラビのように、このお方の内に希望を見出すことができます。神は私たちに、豊かで満たされた人生を与えたいと望んでおられます。