1年で聖書を!
◆ エレミヤ書51-52
◆ ヘブル9
聖書のみことば ヨハネ6:25-36

 
あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。―ヨハネ6:26


アイザック・ペニントンは17世紀のクエーカー教徒のリーダーでした。彼は、「主は私に『私によって生きよ』と語られた。つまり、主から受けるものではなく、主のいのちによって生きるように、と教えられたのだ」と語りました。ヨハネ6章には、イエスによって生きていきたいと願った人々が登場しますが、その意味はかなり違っていました。この人たちは、イエスにではなく、イエスに期待する事柄に対して熱くなっていました。イエスが食物を与え、ローマ帝国の圧制からも解放してくれると期待していたのです。

イエスからパンと魚を食べさせてもらったこの人々は、このお方が自分たちのために何ができるのかを確認しました。イエスはこの人たちの関心、つまり、違った意味での王になって欲しいと望まれていることをご存知でした。それでイエスは、この人たちから退いていかれました(ヨハ6:14-15)。しかし、翌日も人々はイエスを捜し、首尾よく見つけました(22、25-26節)。そしてまた、自分勝手な期待をもって、イエスについて行きました。しかしイエスは局面を一転させて、「わたしがいのちのパンです」と言われました(35節)。人々が願ったものは、よりよい生活だったのですが、イエスは永遠のいのちを与えるために来たと言われました(40節)。イエスを信じる者だけが、永続する本当の満足を手にします。
 

イエスに従いましょう。「パン」をくださるからではなく、このお方が、神との永遠の交わりという、私たちの心の奥深くにある渇望を満たしてくださるからです。 (Marvin Williams)

あなたのいのちがキリストで満たされるなら、完全な満足を体験できる。