1年で聖書を!
◆ エレミヤ書50
◆ ヘブル8
聖書のみことば ピリピ2:20-30

 
彼[エパフロデト]は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。―ピリピ2:30


イラクで服役中の19歳の兵士は、建物の屋上から手りゅう弾が落ちて来ることに気づきました。彼は装甲車の砲塔で機関銃を構えていたので、落下物を撃ってはねのけようとしましたがうまくいかず、爆弾は装甲車の中に落ちてしまいました。彼には脱出する時間がありました。しかし逆に、手りゅう弾に飛びついてその上に覆いかぶさったのです。この驚くべき捨身の行為で、4人の同僚兵士の生命が助かりました。2007年12月4日のことです。

このような自己犠牲を説明することは、ほとんど不可能です。しかし、豊かな知識や大きな信仰以上にたたえられる愛がある(Ⅰコリ13:1-3)、と聖書が語っている理由は、ここにあるのかもしれません。
 

このような愛はなかなか見つかりません。使徒パウロは、人々がキリストよりも自分のことを考えていると嘆きました(ピリ2:20-21)。一方で、同労者エパフロデトは他の人のために「いのちの危険を冒して死ぬばかりになった」(30節)と言います。パウロが心から感謝したのはこのためでした。

人のために命をかけるなど、自分には絶対に無理だと思うならば、エパフロデトを見ましょう。彼が自己犠牲への第一歩を示してくれています。このような愛は、普通ではなく、よくある愛でもありません。また、私たち自身から出て来る愛でもありません。それは、神の御霊から来る愛です。神の御霊だけが、神のような愛で人を愛したいという強い願いと、それを実行する能力とを与えてくださるのです。
(Mart De Haan)

あなたの神に対する愛の大きさは、他の人を愛する愛によって計ることができる。