◆ ゼパニヤ書1-3
◆ 黙示録16
ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、―マタイ1:24
マタイやルカの福音書に記されたクリスマス物語は、あまりにも馴染み深いので、実際のできごとを真に迫って捉えることが難しいかもしれません。御使いが、聖霊の力によって身ごもると若い処女に予告し(ルカ1:26-38)、その婚約者には彼女を妻に迎えるように告げました。そして、生まれる子は「ご自分の民をその罪から救ってくださる」(マタ1:21)お方なので、イエスと名付けるようにと言われました。また、御使いが空に現れて、ベツレヘムに救い主がお生まれになったと羊飼いたちに告げられました(ルカ2:11)。そして東方の博士たちは、何百キロもの旅をして「ユダヤ人の王としてお生まれになった」(マタイ2:2)お方を拝みに来たのです。よく考えれば、このどれをとっても、非常に驚くべきことです。
また、マリヤ、ヨセフ、羊飼いたち、そして東方の博士たちが、神に命ぜられたとおりに従ったことも、驚きに値します。マリヤは神のみこころにすべてを委ねました。ヨセフはマリヤを妻に迎えました。羊飼いたちはベツレヘムに行って飼い葉桶に眠る幼子を見つけ、博士たちは星を頼りに出発しました。この人たちは、結果がどう出るかは全く分からないのに、神を信じて一歩を踏み出しました。何と素晴らしいことでしょう。
私たちはどうでしょう。このクリスマス、明日の見えない状況にあっても、不安に圧倒されそうでも、神を信じて神の導きに従っていますか。主を信頼して従っていきましょう。そうすれば、本当にすばらしい結果が待っています。
信仰によって未来が見通せるものではない。信仰とは、ただ未来に導いてくださるお方を知り、そのお方を愛しているということだ。(Chambers)