1年で聖書を!
◆ レビ記19-20
◆ マタイ27:51-66
聖書のみことば レビ記19:9-15

 
私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。―詩篇119:18


子どものころ、無法者ジェシー・ジェイムズ(1847-1882)と同じミズーリ州の田舎で育ったので、彼が近くに宝物を埋めたに違いないと信じていました。友だちと宝の発見を夢見て、林の中を歩き回ったものです。そこで、大きな斧で薪を割っている年配の男性によく出くわしました。私たちは、この不思議なおじいさんが、高速道路の脇を歩いて空き缶を探しているのを何年もの間見ていました。空き缶は彼の宝でした。空き缶を換金すると、安酒を買って、屋根もなく壁も塗られていないぼろぼろの小屋に戻って行くのです。しかし家族によるならば、彼の死後、その小屋には多額の現金が残されていたそうです。

この男性が自分の財産に無頓着だったように、クリスチャンもみことばの一部に無頓着です。私たちは、すべてのみことばは用いるべきものだということを忘れています。それぞれのみことばが聖なる経典に収められたのには何か理由があるのに、そのことを忘れてしまいます。

レビ記には埋もれた宝があることをご存知ですか。レビ記19章9~15節は、貧しい人や身体の不自由な人たちの尊厳を守りながら支援する方法(9-10、14節)、ビジネスをする場合の倫理(11、13、15節)、神を敬いながら日常生活を送る方法(12節)を巧みに教えています。

考えてみてください。ほんの数節にこれほど多くの宝が含まれているのですから、毎日聖書を学ぶなら、私たちはどれほどのものを手に入れられることでしょう。

(Randy Kilgore)

聖書のみことばの各々には目的がある。
まだ読んでいない聖書個所は埋もれた宝だ。