1年で聖書を!
◆ レビ記26-27
◆ マルコ2
聖書のみことば 詩篇50:7-15

 
感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。― 詩篇50:23


教会の礼拝をエンターテイメントの時間であるかのように感じているときがありました。セーレン・キェルケゴールは、私たちのような人々について、教会を一種の劇場だと考える傾向にあると述べています。私たちは観客の中にいて、熱心に舞台の上の役者を見物しています。十分に楽しませてもらったら、拍手や歓声で感謝の気持ちを表します。しかしながら教会は、劇場とは正反対のものであるべきです。「神」が観客です。神は、私たちの礼拝をご覧になっています。

最も重要なことは、観客の心の中で起こるのであって、舞台の上で起こるのではありません。私たちは「この礼拝から何を得ただろうか」と自問するのではなく、「神はこの礼拝で起こったことを喜ばれただろうか」と自問しながら教会を後にすべきです。

神は古代イスラエルの民に、礼拝で動物の犠牲をささげる際の詳細な規定をお与えになりました。それにもかかわらず、「わたしは、あなたの家から、若い雄牛を取り上げはしない。あなたの囲いから、雄やぎをも。森のすべての獣はわたしのもの、千の丘の家畜らも」(詩50:9-10)と語られ、彼らの動物は不必要だと言われました。神が望んでおられたのは、民の称賛と従順でした(23節)。

礼拝の外見に焦点を合わせるなら、私たちもまた、要点を見誤ります。神は心のいけにえに関心がおありです。私たちが従う決意や、感謝をささげることに興味をお持ちです。礼拝の目的は、神に会い、神を喜ばせることに他なりません。

(Philip Yancey)

礼拝の要点は、心からささげる礼拝だ。