◆ Ⅱ歴代誌7-9
◆ ヨハネ11:1-29
これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。―Ⅱペテロ1:8
最近、妻が旅をしたとき、飛行機に初めて乗る子どもが近くに座っていました。飛行機が離陸すると、彼は興奮して「ママ、見て!すごく高いよ。みんなちっちゃくなっていく!」と叫び、さらに「雲があるよ。どんなふうかなぁ」などと言っています。ほどなく、乗客は読書をしたり、居眠りをしたり、ビデオを見たりしましたが、その子は窓に張り付いたままで、眼下のすばらしい世界に魅了されていたそうです。
信仰の旅路においても、「旅なれた人」がいます。この人たちの危険は、新鮮な驚きを失うことです。かつては、わくわくしながら聖書を読んでいました。しかしやがて、みことばが見慣れたものとなったり、学術的な学びの対象になったりするかもしれません。また、祈りも、心からというよりは、何となく祈るようになるかもしれません。
使徒ペテロは当時のクリスチャンを「…あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい」と励ましました(Ⅱペテ1:5-7)。そして、「これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです」と教えています(1:8、9)。
新鮮な驚きをもって神をますます知ることができるように、神の恵みを祈りましょう。
神をより深く知っていくなら、主にあって成長し続けることができる。