1年で聖書を!
◆ Ⅱ歴代誌28-29
◆ ヨハネ17
聖書のみことば ダニエル書3

女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。―ヘブル11:35

スミルナの教会の司教ポリカルポス(紀元69年~155年)は、釈放されたいならキリストを冒涜せよ、とローマ帝国の役人に言われて、こう答えました。「私は86年間、神に仕えてきましたが、神は全く悪いようにされませんでした。お救いくださった我が王を冒涜することが、どうしてできましょうか。」役人は「考えを変えなければ、火あぶりだぞ」と言って脅迫しましたが、ポリカルポスはひるみませんでした。ポリカルポスは、キリストを冒涜しなかったので、火刑に処せられました。

時代をさかのぼること数世紀、シャデラク、メシャクとアベデ・ネゴという名の3人の青年たちもポリカルポスと同様の難儀に直面して、こう答えました。「ネブカデネザル王よ。…、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えません」(ダニ3:16-18)。ポリカルポスと似たような出来事ですが、結末は真逆でした。ポリカルポスは生きたまま火に焼かれ、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴらは無傷で炉から出てきました。
 

この真逆の結末の発端は同じ信仰です。彼らは、神を信じる信仰とは、神が何かをしてくださることを信じることではない、と示してくれました。彼らの信仰は、命が助かっても助からなくても、神は神であるという信仰です。お決めになるのは神です。そして、神に従うかどうかを決めるのは、私たちです。

(Albert Lee)

人生は試練だ。しかし神は、いつも良いお方である。