1年で聖書を!
◆ ヨブ記28-29
◆ 使徒13:1-25
聖書のみことば Ⅰコリント1:17-25
 
十字架のことばは、……神の力です。―Ⅰコリント1:18

アメリカ合衆国連邦最高裁判所は、公共の場に宗教の象徴物、ことに十字架を認めるべきかどうか議論しました。問題になっている十字架は、第一次世界大戦の戦没者を追悼して1934年に立てられたもので、キリスト教の伝道のために立てられたものではありません。しかし、AP通信に寄稿されたマーク・シャーマンの記事によると、ある退役軍人は、「十字架はキリスト教の力強いシンボルであって…他のどんな宗教のシンボルでもない」と主張しています。

十字架は常に論争の的です。紀元1世紀、使徒パウロは、自分が遣わされた理由を次のように語りました。「バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。それもキリストの十字架がむなしくならないために、ことばの知恵によってはならないのです。十字架のことばは滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(Ⅰコリ1:17-18)。前述の退役軍人は、十字架は力強いキリスト教のシンボルと語りましたが、キリストに従って歩む人たちにとって、十字架はそれ以上のものです。それはつまり、神の力の証拠です。この神の力によって、私たちは自らの罪に支配される苦しみから自由にされました。
 

多様で多元的な社会では、宗教の象徴に関わる論争は続くでしょう。公共の場に十字架を掲げても良いか否かという判断は、法廷で下されるでしょう。しかし、十字架の力が生き方を通して示されるか否かは、私たちの心で決まります。

(David McCasland)

神の愛を十字架以上にはっきりと証するものはない。