1年で聖書を!
◆ 詩篇20-22
◆ 使徒21:1-17
聖書のみことば 詩篇123
 
私たちのたましいは、……高ぶる者たちのさげすみとで、もういっぱいです。―詩篇123:4

詩篇の作者は「高ぶる者たちのさげすみ」(詩123:4)に、「もうたくさんだ」と思っていました。あなたも同じかもしれません。あなたがキリストを信じ、キリストに従おうとしているので、職場や学校、近所の人たちは、あなたに辛く当たっているかもしれません。暴力を振るわれると体が傷つきますが、言葉の暴力は、もっと深い部分を傷つけます。デレク・キドナー師は、詩篇の解説書の中で、侮辱は「やいば」だと言っています。

自分も「高ぶる者」になって、高慢な人に侮辱されないように身を守ることは可能です。一方で、彼らの「おとしめてやろう」という挑戦を、栄誉の印と捉えて静かにしていることもできます。私たちは「御名のためにはずかしめられるに値する者とされたこと」(使5:41)を喜ぶことができるのです。少しの間、恥ずかしい思いをするほうが、「永遠の忌み」(ダニ12:2)に耐えるよりもましです。
 

侮辱されたらやり返す、というような人になってはいけません。むしろ、迫害する人たちを祝福しましょう。「祝福すべきであって、のろってはいけません」と、使徒パウロも教えています(ロマ12:14)。この勧めに従うなら、神は、彼らを信仰と悔い改めに導いてくださって、私たちの侮辱の体験を、永遠の栄光に変えてくださるかもしれません。

詩篇の作者が勧めているように、「私たちの目は私たちの神、主に向けられ」なければなりません(詩123:2)。主イエスは誰にもまして理解してくださいます。ご自身も侮辱に耐えられたのですから。神は無限のあわれみをもって、私たちを思いやってくださいます。

(David Roper)

ひどい扱いを受けて落ち込んだなら、イエスを見上げよう。