1年で聖書を!
◆ 詩篇37-39
◆ 使徒26
聖書のみことば 伝道者の書2:1-11
 
私は……心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。……すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。―伝道者の書2:10-11

私は夏が大好きです。暖かい太陽の日射し、野球、砂浜、そしてバーベキュー等々、長く厳しい冬の後に、このような楽しみがあるのはうれしいことです。しかし、楽しいことを追い求める傾向は、特定の季節だからではありません。おいしい食べ物、楽しい会話、炭火のパチパチという音が嫌いな人はいないでしょう。

楽しいことをしたいという欲求は、悪いことではありません。神はそのように私たちを造られました。パウロは、神が「すべての物を豊かに与えて楽しませてくださる」と述べています(Ⅰテモ6:17)。また聖書は他の個所でも、飲食を楽しむことや、友人と仲良くすること、夫婦の交わりなど、健全な楽しみを奨励しています。しかし、人や物の中に永遠の楽しみを見つけられると考えるなら、楽しみの追求はむなしい結果に終わります。
 

究極の楽しみは、束の間の興奮ではありません。長い時間をかけて、神と親しい関係を築いていく中で与えられる喜びです。王ソロモンは、辛い回り道をしてこれを学びました。彼は「私は、…心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした」と認めています(伝2:10)。しかし、楽しさを追求してやりたい放題に騒いだところで、結局は「すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ」という結論でした(11節)。ソロモンは箴言21章で「快楽を愛する者は貧しい人」となると警告していますが(箴21:17)、それもそのはずです。

私たちの真の願いが叶えられるのは、イエスと自分との間に、心満たされる関係が成長していっているときです。このお方を追い求め、このお方を知る喜びを味わいましょう。

(Joe Stowell)

自分の楽しみに生きているのか。それとも、御父の心を楽しませるために生きているのか。