1年で聖書を!
◆ 詩篇123-125
◆ Ⅰコリント10:1-18
聖書のみことば Ⅱサムエル記13:21-29
 
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、……平安な義の実を結ばせます。―ヘブル12:11

私たちの家は森の中にあるので、日当たりはよくありません。けれども私は、大好きなトマトを育ててみたいと思って苗をプランターに植え、比較的太陽の当たるところに置きました。すると、トマトの茎はどんどん伸びていきます。しかし、喜んだのもつかの間。それは茎が育っていたというよりは、日差しを求めて伸びていただけだったのです。そうと気づいた時には、トマトの茎が自分自身を支えられなくなっていました。支柱を立ててまっすぐに立たせようとしてみましたが、気をつけていたにもかかわらず、絡まった茎のひとつが折れてしまいました。

このことは、人の躾は曲がった性格になる前にしなければならない、という教訓を思い出させました。
 

祭司エリは、ふたりの息子の躾に失敗します。息子たちの悪事が無視できないほどひどくなったので、エリは息子たちを優しく叱ります(Ⅰサム2:24-25)。しかし、「時すでに遅し」でした。神は、悲惨な結末を宣言されます。「わたしは彼の家を永遠にさばくと彼に告げた。それは自分の息子たちが、みずからのろいを招くようなことをしているのを知りながら、彼らを戒めなかった罪のためだ」と語られたのです(Ⅰサム3:13)。

まっすぐにさせるには痛みを伴います。しかし、曲がったままにしておくなら、最終的にはもっと恐ろしい結果となります。

(Julie Ackerman Link)

神の愛は、間違いを指摘し、正す。