今は必要ない
◆ イザヤ書5-6
◆ エペソ1
作家志望の人にとって、次から次へと作品を送り返されるのは、かなり落ち込む体験です。出版社に原稿を送ると、「寄稿をありがとうございました。しかし現在のところ、この種の原稿は、当社の必要と合致しません」という内容の手紙が送られてきます。多くの場合、「現在のところ」ではなく、「未来永劫に」というのが現実なのです。それで彼らは、次から次へと別の出版社に原稿を送り続けるのです。
私は、この「現在のところ(そして、未来永劫に)…必要と合致しません」という表現は、信仰を育てる上で有益だと気づきました。心を一新して、神のみに焦点を合わせることに役立つのです。それは、こういうことです。
しっかりした基盤
◆ イザヤ書1-2
◆ ガラテヤ5
私の自慢の孫娘、ケイティは、まだ2歳のときから車のメーカーと年式を見分けることができました。父親と一緒にミニチュア・カーで遊ぶようになってから、車の違いが分かるようになったのです。彼女の父は趣味でミニチュア・カーを集めていたので、「ケイティ、1957年式シェビーを持っておいで」と言うなら、彼女は何百もある小さな車の中から、ちゃんとそれを選んで来ることができます。ある時、「おさるのジョージ」を読んでもらっている最中に、彼女は父親のひざを降りると、走ってロールスロイスを取りに行きました。見れば、絵本に描かれているとおりの型式でした。
灰に埋もれたクリスチャン
◆ 雅歌6-8
◆ ガラテヤ4
以前、「天国へ行ったらイエスに似た者になれるのに(Ⅰヨハ3:1-3)、どうして今、イエスに似た者にならなくてはいけないのですか」と尋ねた人がいました。良い質問です。自分らしく生きる方が楽ならば、なおさらです。
さらに悪い方へ
◆ 雅歌4-5
◆ ガラテヤ3
この前もそうでした。書斎を片付けようと急に思い立って、私は動き出しました。すぐに思い直せばよかったのですが、そうしなかったので、部屋は以前にも増してひどいことになりました。本や新聞、そして雑誌の選別をしていくうちに、ひとつの山がいくつもの山になっていきます。部屋がどんどん散らかっていくにつれ、私は片づけを始めたことを後悔しました。けれども、今さら、後戻りはできません。
厳粛な務め
◆ 雅歌1-3
◆ ガラテヤ2
最近、裁判員を務めました。裁判員になると、多大な時間が取られて、自分の生活に大きな支障をきたします。しかし、これは非常に重要な働きです。最初の日にはオリエンテーションがあり、裁判官は、この任務が非常に重要で重い責任を伴うものだと説明しました。私たちは裁判員として、刑事裁判の判決を言い渡す立場になるのです。この状況を前にして、自分はこの役目に何と不適切な人間だろうかと感じました。他の人の人生を大きく左右するだろう決断を、私たちがくだすのです。それは、決して単純なことではありません。非常に深刻な事態です。私たち自身が、欠陥のある人間なのですから、常に正しい決断ができるとは限りません。
当たり前を見直す
◆ 伝道者の書10-12
◆ ガラテヤ1
―ヨハネ5:40
コロンビア教育大学の名誉教授であるジャック・メジロー氏によると、大人が学ぶときに重要なことは、自分の見方を疑問視し、自分の洞察を批判的に検証することだといいます。メジロー博士によると、大人は、どうしたら良いか分からなくてイライラしているようなときに、より効果的に学習します。それは、自分が積み重ねてきた「当然」とか「当たり前」と思うことを、振り出しに戻って批判的に検証してみようと思うからです。これと対照的なのは、「私の気持ちはもう決まりました。あれこれ言って、かき乱さないでください」というときでしょう。